本間宗究(本間裕)のコラム
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2019.5.25
50年の回り道
今から50年ほど前、学生だった私は、当時の流行だった「マルクス経済学」と「西洋哲学」に噛り付いたが、結果として得られたものは、「自分の無能さへの自覚」と「茫漠たる思い」でもあった。つまり、「まったく理解できず、頭脳が分解するような思い」を抱いたわけだが、幸いなことに、「マルクス経済学」については、その後、「アメリカへの大学留学」と「43年間の金融界における実践」をへて、半分程度、理解できたものと考えている。
具体的には、「マルクス」が最も知りたかった「貨幣と商品との関係性」については、自分の実践により、ほとんど体得できたものと考えているが、問題は、残り半分の「西洋哲学」でもあった。つまり、「マルクス経済学」の裏側には、「西洋人が、連綿として悩み続けた問題」、すなわち、「人間とは、いったい、どのようなものか?」が存在することに、50年目にして気付かされたのである。
より詳しく申し上げると、私自身は、今まで、「お金の謎」と「時間のサイクル」を考え続けてきたが、現在では、「心の謎」に問題意識が到達し、この時に出会ったのが、「梅原猛氏の著書」だった。そして、彼の著作により気付かされたことは、「我思う、故に我あり」という「デカルトの言葉」について、「50年前の私が理解できなかったのは、当然のことだったのではないか?」ということだった。
別の言葉では、私自身の「心の仮説」を使うことにより、「何故、西洋人が、今まで、人間を理解できなかったのか?」が、ある程度理解できたものと考えているが、この時に役立ったのが、「梅原氏」が教える「日本人の思想」だった。つまり、「生命の思想」と「心の思想」、そして、「地獄の思想」のことだが、この点を、私なりにアレンジすると、「宇宙の仕組み」は、「生命の思想」という「大自然」と「心の思想」である「人類の想い」により説明可能なものと考えている。
しかも、この時に重要なポイントは、「100年ほど前に死んだ」と言われる「神」の復活でもあるようだが、実際には、「ニーチェ」が主張するように、当時の西洋人は、心から「神が死んだ」と理解したのである。そして、結果としては、「心の思想」が「技術科学文明」のみならず、「マネーの大膨張」までをも引き起こしたのだが、これから起こることは、「生命の思想」、すなわち、「神や天に対する理解」が復活するとともに、「金融混乱の激化」により、「心の思想」に対する幻滅感が増幅される状況だと考えている。