本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.7.9

権力闘争の人類史

人生の醍醐味は、「時間の経過とともに、徐々に、さまざまな真理が理解できる点」にあるものと思われるが、この時に必要な条件は、哲学者の梅原猛氏が主張するように、「懐疑心を持ち続けること」だと考えている。つまり、ニーチェの主張する「幼子」の心で、「真剣に世の中を眺めることにより、さまざまな事実が見えてくる状況」のことだが、このような観点から、現在の「私自身の理解度」を考えると、「心の仮説」は出来上がったものの、「実証的な検証」が不十分の状況とも感じている。

具体的には、「どのような意識や行動が、どのような組織や社会を形成するのか?」に関しての「メカニズム」が理解できない状況のことだが、この点に関して必要なことは、「権力闘争の歴史的な検証」だと考えている。つまり、「日本」における「天皇制の歴史」などを詳しく分析することだが、実際のところ、「明治維新以前の状況」を振り返っただけで、きわめて大きな変化が起こっていたことが見て取れるのである。

より具体的には、約800年前の「承久の変」を境にして、「天皇」を中心とした「公家社会」から「武士の社会」へ大転換し、また、その後は、「約400年」もの間、「武力による権力の奪い合い」が起きたことも理解できるのである。つまり、「文明法則史学」が教えるとおりに、「西暦1200年」、そして、「西暦1600年」という「節目」で、大きな変化が発生したわけだが、現在は、「西暦2000年」という「もう一つの節目」に遭遇しており、結果としては、「西洋の唯物論」から「東洋の唯心論」への「価値観の大転換」が起こっているものと考えている。

つまり、「権力の意味合いや決定要因が、大きく変化している可能性」のことだが、今までの800年間は、「武力」や「資金力」が、「権力」に関する「決定要因」だったものと考えている。しかし、「西暦400年から1200年」までの「800年間」については、「まったく違った価値観が、人々を支配していた状況」だったことも理解できるが、実際には、「身分」や「家柄」、あるいは、「精神的な成熟度」のことである。

より具体的には、当時、「仏教」を学ぶことが「最先端の学問」とされ、「貴族」や「公家」などが、こぞって「仏教の習得」に励んだと言われているのである。そのために、現在の「御朱印ブーム」については、たいへん興味深く観察しているが、現時点で、最も重要な点は、やはり、既存の支配勢力である「マネー」に関して、「神から紙へ」というように「権力の失墜」が発生する可能性だと考えている。