本間宗究(本間裕)のコラム
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2019.7.16
稲森和夫氏の「心。」を読んで
現在では、「唯物論から唯心論への時代変化」を象徴するように、「心や行動学の研究」が盛んに行われているが、この点に関して気になったのが、過去の歴史が繰り返される可能性だった。具体的には、「1600年前の西ローマ帝国時代」の末期に、同様の展開が繰り広げられ、結果としては、「聖アウグスティヌス」などが主張するとおりに「神様が絶対的な信仰の対象となる時代」が始まったのである。
つまり、「西暦400年から西暦1200年」までの期間は、「神の国」という著書などが、きわめて大きな影響力を持っており、この結果として発生した最も重要な変化が「地動説の放棄」と「天動説の復活」だったのである。別の言葉では、「ギリシャやローマ文明」における「戦争と物欲の時代」の反省として「神が絶対視された状況」となり、その結果として、ギリシャ時代に確立された「地動説」が放棄され、「コペルニクス」が再発見するまでに、千数百年もの時間が必要とされたのである。
このように、偉大な人物の言葉については、決して、鵜呑みにしてはいけないものと考えているが、特に、「心の謎」については、「お金の謎」と同様に、「人類史上、誰も解いた人がいない状況」となっているのである。そして、「唯識論」や「稲森和夫氏」が説明するとおりに、「心が全てを決める」という理解が正しいものと信じられているが、今回、私自身は、この点に関して、きわめて大きな違和感を覚えた次第である。
具体的には、「心の謎」が解けていない状況下で、「心が、どのようにして全てを決めるのか?」ということであり、この点については、現代人が、「お金の謎」が解けていない状況下で、「お金さえあれば、人生は大丈夫だ」と考えることと、同じようなものにも感じられたのである。また、「利他」についても、私の「心の仮説」である「人間の本性は心だけであり、決して、肉体や頭脳ではない」という観点からは、きわめて曖昧な説明となっているようにも思われた次第である。
つまり、人生の目的は、その人の「霊性」を高めることにあり、この点に関して、単純な「利他の思想」では、前述の「神の国」と同様の間違いを犯す可能性が存在するのである。別の言葉では、「梅原猛氏」が主張するとおりに、「命の思想」と「心の思想」を詳しく研究する必要性が存在し、この点に関する「試金石」となるのは、今回の「心。」という著書、あるいは、「心を分析する行動学」などに対して、「世界中の人々が、どのような反応を見せるのか?」だと感じている。