本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.11.22

廃仏毀釈の悪影響

最近、「廃仏毀釈の悪影響」について、いろいろと思いを巡らせている状況でもあるが、この点に関して最も気になることは、現在の「心の闇」の遠因が「廃仏毀釈」に存在する可能性である。つまり、「明治維新以降の日本人」は「西洋の唯物論的な価値観に向かって、まっしぐらに突き進んだ状況」でもあったが、この時に切り捨てられたのが、文字通りに、「仏教」であり、また、「お釈迦様の教え」だったのである。

そのために、「仏教」については、私自身も、ほとんど知識が無いような状況だったが、最近、気付かされたことは、「空海の教えが、たいへん魅力的なものである」ということだった。つまり、「24歳の時に書かれた三教指帰(さんごうしいき)」、そして、「57歳の時に書かれた秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」を読むことにより、「空海の切なる想い」が、まざまざと浮かび上がってくるようにも感じられたのである。

具体的には、「三教指帰」により、「儒教」と「道教」、そして、「仏教」の比較をしているが、この後、「もっとも優れた教えの仏教を学びたい」という「止むに止まれない想い」を抱いて「唐に渡った」とも言われているのである。また、その後は、「入唐求法」という言葉で表されているように、奇跡的な「縁」を得られ、「十住心」という思想などを基本にした「真言密教」を打ち立てることができたのである。

つまり、「人生の目的」は、「精神的な成熟度」を高めることにあり、この時に、「十の段階が存在する」とも述べられているが、私自身としては、「十段階の天爵」が、まさに、この状況を表しているようにも感じられたのである。別の言葉では、「地位や名誉、あるいは、お金」などの「人爵」については、基本的に、「天爵を高めるための手段」にすぎず、「人生の喜び」は、「どれだけ『大日如来の教え』、あるいは、『天地自然の理』に近付くことができたのかにある」という考え方のことである。

ただし、私自身としては、現在、「空海が教える十段階」に関して「若干、問題があるのではないか?」とも感じているが、この理由としては、「西洋の哲学」などが、考慮に入れられていないからである。つまり、当時の情勢としては、当然のことながら、「東洋の思想」だけを中心にして、いろいろな理論が打ち立てられていたわけだが、現在では、「今までの歴史を振り返りながら、より良い思想や理論が出来上がるのではないか?」と感じるとともに、「必要は発明の母」という言葉のとおりに、現在の「さまざまな心の問題」は、実際のところ、「心の謎」を解明するために発生しているようにも感じられるのである。