本間宗究(本間裕)のコラム
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2019.12.2
富の源泉
最近、最も驚かされたことの一つに、「富の源泉」に関する意見があったが、具体的には、「富の源泉が、モノから知識やデータに移行し、分配の法則も変わった」という認識のことである。そして、このことは、典型的な「富のバブルを象徴する出来事」のようにも感じられたが、実際には、「1929年の大恐慌」の直前に「靴磨きまでもが株式投資の話をした」という有名な逸話が思い出された次第である。
つまり、「富が、どのようにして生み出されてきたのか?」という点に関しては、過去の歴史を遡ると、「知識やデータが、富を生み出すはずがない」という単純な真理に気付かざるを得ないものと感じている。より具体的には、「富」は「マネー(お金)」と同義語であり、この時に必要なことは、「マネーの法則」を理解することであり、実際には「マネーは、根本の信用が存在する限り増え続ける」、しかし、「根本の信用が使い果たされた時に、大インフレで消滅する」という状況のことである。
しかも、この点に関して重要なポイントは、「文明法則史学」が教えるとおりに、「800年毎に、『西洋の時代』と『東洋の時代』が交代し、現在は、西洋の時代を象徴する『富の時代』が終焉を迎えようとしている事態」だと考えている。別の言葉では、「1971年のニクソンショック」から始まった「信用本位制」、すなわち、「単なる数字が、マネーとなった時代」が「富のバブルの最盛期」であり、そして、最終段階では、上記のような「言葉」までもが「人々の常識」となったようにも感じられるのである。
つまり、「知識」や「データ」については、「人々が、今まで、どのような行動を取ってきたのか?」という「過去の歴史」にすぎず、「これから、人々が、どのような行動を取るのか?」という「未来の予測」に関しては、あまり役に立たないことも理解できるのである。しかも、最近では、「大量に存在したマネー」が「過剰消費」を生み出し、その結果として、「人類が地球に住めなくなるような事態」も危惧されているのである。
つまり、「知識」や「データ」が、今後、より多くの「マネー」を生み出すことが可能だとしたら、その時には、「地球の温暖化」が、より一層、進展する状況も想定されるのだが、「富のバブル」に浮かれた人々は、このことにも気づかず、かつての「王侯貴族」のような行動を取り続けているのである。換言すると、人類は、現在、「裸の王様」のような状態となったようだが、今後の注目点は、「国連で演説をしたグレタさんのコメント」に関して、「世界中の人々が、何時、実際に、行動を変化させるのか?」だと考えている。