本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.6.4

コロナ増税の方法論

現在、「コロナ増税」に関する議論が活発化し始めているようだが、具体的には、「今回の給付金が、将来、われわれの税金として跳ね返ってくる可能性」のことである。つまり、今後、「3・11の大震災」と同様に、「直接的な税金が課される方法」が議論されたり、あるいは、「景気が好転するまで増税は不可能である」というような意見が出たりする状況のことだが、このことも、結局は、「三次元の経済学」のとおりに、「過去の歴史を見ず、また、具体的な数字による検証を忘れた議論」とも言えるようである。

別の言葉では、「人類が、今までに、どのような経験をしてきたのか?」という「四次元の経済学」が、現在の日本では、全く忘れ去られた状況のようにも思われるのである。つまり、間もなく、「古典的なインフレ税」という、きわめて明快単純な答えが導かれるものと考えているが、実際には、「長期間にわたり、本当のインフレを経験せずに済んだ日本人」にとって、「税金の種類」、あるいは、「インフレ税」などは、「死語」、あるいは、「過去の遺物」となっている状況のようにも感じられるのである。

そのために、今回は、「戦後の日本で、どのような税金が課せられたのか?」を、再度、説明させていただくが、基本的には、「目に見える税金」として、「消費税」や「所得税」などの「現在の税金」、また、「国債」という「将来の税金」が存在していることも見て取れるのである。そして、もう一つの「目に見えない税金」としては、「インフレ税」が存在するわけだが、このことは、「江戸時代の貨幣改悪」のように、「通貨価値の下落による実質的な増税」のことである。

また、この時にも、「国民が気付く税金と気付かない税金」の二種類が存在するが、実際には、「中央銀行のバランスシートを、どのようにして膨張させるのか?」による区別のことである。つまり、現在の「リフレーション政策」、すなわち、「国民の預金などを使い、国債を買う方法」が「国民が気付かない方法」であり、一方で、「紙幣の増刷で資金繰りを賄う方法」が「国民が気付くインフレ税」のことである。

そして、現在は、「リフレーション政策」が行き詰まりを見せ、間もなく、誰もが認識できる「インフレ税」が課される段階に差し掛かってきたわけだが、実際には、「いまだに悠長な議論が行われている状況」とも言えるのである。つまり、「第二次世界大戦の末期」 と同様に、多くの人が、日本の金融敗戦を否定している状況となっており、これほどまでの「落差」が、その後、「日本人の覚醒」に繋がったようにも感じている。