本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.7.11

「命」と「お金」のせめぎ合い

「2019年9月」に行われた「グレタさんの国連演説」については、「世界中の人々が、少なからぬショックを受けた状況」だったが、この時に大勢を占めた意見は、「環境も大事だが、経済の方が、より重要だ」というものだった。そして、その後の展開としては、「オーストラリアの山火事」に続き、「コロナ・ショック」という「世界的なパンデミック」であり、この過程で言われたことは、「命を救うためなら、いくらでもお金を使うべきだ」というものだった。

つまり、「お金よりも、命が大切だ」という認識に転換していったわけだが、現在では、徐々に、「経済を止めると収入が無くなる」という議論に転換し始めているようにも感じている。別の言葉では、「命も大切だが、やはり、お金も大切である」という認識への「揺り戻し」が発生している状況のことだが、この点については、「相場」と同様に、「転換点における特徴」の一つとも考えている。

具体的には、「波高きは天底の兆し」という「相場の格言」のとおりに、「上がったり、下がったりを繰り返しながら、気が付いたら、相場の転換が終わっていた」という状況のことだが、今回は、「西洋の唯物論」を代表する「お金(マネー)」と「東洋の唯心論」を代表する「命」との間で、同様の「せめぎ合い」が発生しているようにも感じている。そして、今回も、「気が付いたら、いつの間にか、転換が終わっていた」というような状況が、数年後に訪れるものと感じているが、現在、この点に関して、最も重要なポイントは、やはり、「国債価格」であり、また、「デリバティブのバブル」だと考えている。

より詳しく申し上げると、現在は、「1600年に一度の大転換期」に遭遇しており、この事実を理解することが、今後、「命」のみならず、「お金」に関しても、きわめて重要な点のようにも考えられるのである。つまり、現在のような「大量のデジタル通貨」が産み出されるためには、「約800年前」から発生した「ルネッサンス(古代文明の復活)」や「400年ほど前」に出来上がった「時は金なり」という思想、そして、「過去200年間」に及ぶ、「世界的な実体経済とマネー経済の大膨張」という過程が、必要かつ、不可欠の条件だったことも見て取れるのである。

しかし、現在では、「大膨張したマネー」に関して、「わずかな金利上昇で、世界の金融システムが崩壊する可能性」があり、タイミングとしても、たいへん近くなっている状況のようにも感じている。