本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.7.14

知恵と智慧

4000年ほど前に「文字」が発明され、その時から、「智慧の蓄積」が急加速したものと思われるが、同時に広がったことが、「悩み」や「苦しみ」の増大でもあったようだ。つまり、仏教が教える「四苦八苦」のように、「人生は苦である」という認識が広がった状況のようにも思われるが、この理由としては、「知恵」と「智慧」との違いが指摘できるものと感じている。

具体的には、「人間の脳」で認識し、理解されたものが「知恵」とも思われるが、一方で、「智慧」については、「心眼」という「天」や「神」の認識や理解のようにも感じられるのである。つまり、「人間の苦悩」については、「脳」と「心」で「認識や理解の差」が存在することに、根本的な要因が存在するものと思われるが、この「差」を取ることが、いわゆる「悟り(差取り)」とも考えている。

別の言葉では、「何故」を考え続けることにより、「人知」と「天地自然の理」との「違い」を理解することであり、実際には、「閃き」や「霊感」により、「知恵」が「智慧」に変化する状況のことである。つまり、「人類の歴史」を振り返ると、前述のとおりに、「約4000年前」から、「知恵の蓄積」が始まり、最初は、「第一の枢軸時代」が説明するとおりに、「農業革命」の後に、「世界全体で、宗教や哲学などが、まさに、百花繚乱の状態」となったことも見て取れるのである。

別の言葉では、「仏教」や「旧約聖書」、そして、「ギリシャ哲学」などのことだが、この時に、最も追及された問題は、「人間とは何か?」、あるいは、「自分の心とは、いったい、どのようなものなのか?」ということだったのである。つまり、人類の「最古、かつ、最難関の問題」が「心の謎」を解くことだったようにも感じられるのである。そのために、私自身も、いろいろな紆余曲折を経ながら、最後に、この問題にたどり着いたものと感じているが、現時点では、私自身の「心の仮説」を検証している段階である。

より具体的には、「脳」と「悩み」の問題などについては、文字が表しているように、結局のところ、「肉体」と「心」の違いのようにも感じているが、具体的には、このことに、前述の「知恵」と「智慧」との違いを当てはめると、さまざまなことが説明可能な状況のようにも思われるのである。つまり、今後の展開としては、「第二の枢軸時代」のとおりに、「工業革命」を経験した人類が、「心の謎」を解明することであり、この時に役に立つのが、「AI(人工知能)」であり、また、「深層学習」とも考えている。