本間宗究(本間裕)のコラム
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2020.7.27
通貨の堕落
現在、最も憂慮すべき点は、世界的な「紙幣の大増刷」が、すでに始まっている可能性であり、この時に考慮すべき事実は、「今後、どの商品が生き残るのか?」だと感じている。つまり、「過去200年間における資本主義の時代」においては、「多種多様の商品」が次々と生み出されながらも、「マネーの膨張」により、「通貨の健全性」が保たれていたことも見て取れるのである。
別の言葉では、「新たな商品」が産み出され続ける限り、「通貨の堕落」が発生しないものと考えているが、現在の問題点は、「2008年前後のGFC(金融大混乱)以降、人類史上、未曽有の規模で、通貨の堕落が発生している可能性」とも思われるのである。つまり、「金融商品」には、「商品」と「通貨」の二面性が存在するが、「GFC以降は、商品の性質が完全に消滅した状況」でありながら、一方で、「通貨の側面」については、「量的緩和(QE)」により、「時間稼ぎ」と「問題の先送り」が実施された状況だったのである。
より具体的には、「国民の資産を使い、国債を買い付け、超低金利状態を生み出した状況」のことだが、現在では、この時に使われた「デジタル通貨」が、ほとんど枯渇したものと考えている。つまり、「日米欧の中央銀行」において、すでに、「紙幣の増刷」が始まっている段階とも想定されるために、これから熟慮すべきことは、やはり、「どの商品に、今後、購買力が向かわなくなるのか?」ということだと感じている。
別の言葉では、「金の切れ目が縁の切れ目」、あるいは、「無い袖は振れぬ」という諺のとおりに、今後は、「世界中の人々が、自らの生き残りを図る状況」も想定されるのである。つまり、現在の「コロナ・ショック」と同様に、今後は、「自らの命が失われないためには、どのような行動を取るべきなのか?」を、多くの人々が考え始めるものと思われるが、この時に注目すべき相違点は、「目に見えないウイルス」が発生するのではなく、「目に見えないデジタル通貨」が消滅する状況とも言えるのである。
より具体的には、「いつまでもあると思うな親と金」という言葉のとおりに、「気が付いた時には、使えるお金が消滅していた」という状況のことだが、この点については、「1991年のソ連」が参考になるものと考えている。つまり、「国債価格の暴落」とともに、「金融商品」や「サービス商品」などへの需要が激減し、一方で、「食料」や「貴金属」などを買い求める人が激増した状況のことであり、このような観点からは、今後、「デジタル商品」などは、ほとんど、見向きもされなくなる可能性も考えられるのである。