本間宗究(本間裕)のコラム
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2020.10.6
富の遠心力と神の求心力
聖書に「人は神と冨とに兼ね仕えることができない」と述べられているが、この理由としては、「富の遠心力」と「神の求心力」が指摘できるものと考えている。つまり、「文明法則史学」を深く検証すると、「西洋の時代」は、「目に見えるもの」を追い求める「富の時代」であり、この時には、「実体経済」や「マネー経済」が、「約800年」という時間をかけて成長した展開だったものと考えられるのである。
具体的には、「西暦1200年から2000年」のことだが、一方で、その前の「800年間」については、「全く違った価値観」が形成されたことも見て取れるのである。つまり、「神の求心力」が働いた結果として、「経済の縮小」が始まったわけだが、この原因としては、「純金に近い貨幣が、通貨として使用されていた」という状況からも明らかなように、「お金の価値と残高」が激減したことが指摘できるのである。
あるいは、「勤勉は悪である」というような価値観が広がったことも、原因の一つとして挙げられるが、この理由としては、「マネーの根本である信用」が崩壊した結果として、「誰も信用できないような時代」に転換した可能性も考えられるようである。つまり、「何を信用すべきなのか?」と悩み苦しんだ人々が、結局は、「神」や「精神文明」を求めた可能性のことでもあるが、実際には、「西暦1200年前後」に、現在と反対の状況、すなわち、「神の形骸化」が発生した可能性も考えられるようである。
より具体的には、「神様への信仰バブル」とでも呼ぶべき状況のことだが、その結果として発生した大転換が、「古代文明の復活」を意味する「ルネッサンス」だったものと想定されるのである。つまり、この前後から、「富の遠心力」が働き始め、その結果として、「実体経済の成長」が、徐々に始まったわけだが、その後の展開については、今までに、詳しく説明したとおりの状況だったものと感じている。
そのために、今後の展開を考える上で最も重要なポイントは、やはり、「神の求心力」を理解することであり、実際には、「お金(マネー)の価値と残高の激減が、人々の意識と行動に対して、どれほどの影響を与えるのか?」だと考えている。つまり、「形骸化した現在のデジタル通貨」に対して、「人々の認識」が改まった時に、世の中が急変する可能性のことだが、この点については、「文明法則史学」を研究する必要性があるものと感じており、実際には、今回の「コロナ・ショック」をキッカケにして、「精神的な豊さ」を求め始める人が増える状況のことである。