本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.10.31

西洋哲学の歴史的推移

今から2500年ほど前、「ソクラテス」や「プラトン」などから始まった「ギリシャ哲学」は、その後、「西ローマ帝国」、そして、「東ローマ帝国」などの栄枯盛衰の時期を経て、「西暦1600年前後」から、再度、輝きを取り戻した状況のようにも感じている。具体的には、「我思う、故に我あり」と述べた「デカルト」や「人間は考える葦である」と述べた「パスカル」などにより、新たな時代が始まったものと考えているが、この時に注目すべき点は、「人間と神との関係性」に変化が発生した可能性である。

つまり、「人間の能力」に対する期待感や信頼感が高まった結果として、その後、徐々に、「人類は、自然を征服すべきである」というような考えに至ったものと思われるが、この点に関するピークが、西暦1900年前後の「神は死んだ」という言葉のようにも感じられるのである。別の言葉では、それまでの「神を尊敬する人々」が、その後、「人間が神様となったような状況」へ変化し、その結果として、「過去百年間は、お金が神様に祭り上げられた時代」だった可能性のことである。

より詳しく申し上げると、私自身の「心の仮説」において、「人間の頭脳と魂の乖離」がピークに達した状態とも考えているが、実際には、世界中の人々が、「目に見えるもの」と「自分の欲望」を象徴する「マネー」に興味と関心を持った状態である。別の言葉では、「お金のためなら、どのような行為も許される」というような錯覚を持った結果として、「地球環境の悪化」が進行した展開とも言えるようである。

つまり、「お金や領土などの奪い合い」が激しさを増した結果として、反対に、「人類が、地球に存在を許されなくなる可能性」のことでもあるが、この点については、今後、「デリバティブバブルの完全崩壊」、そして、「デジタル通貨の完全消滅」という展開となった時に、はっきり認識されるものと考えている。別の言葉では、「お金が、神から紙に変化する事態」のことでもあるが、このような状況下では、今までの常識を完全に捨て去る必要性があるものと思われるのである。

より具体的には、「都会での生活」が難しくなる状況のことだが、この点については、今回の「コロナ・ショック」が、大きなヒントを与えてくれているものと感じている。つまり、「天からのメッセージ」が込められている可能性のことであり、実際には、「歴史を学び、今後の大変化に対応すべきである」、しかも、「地球環境の悪化を防ぎ、本当の意味での持続可能性を考えるべきである」という認識のことである。