本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.11.7

国家の活力

老子に「大国を治むるは、小鮮を烹(に)るが如し」という言葉があるが、このことは、「国家の役割」として必要なことが、「小魚のような小さな存在である国民の形が崩れないこと」、すなわち、「国民が自由に独創力を発揮できるような環境を維持すること」を意味している。つまり、「共産主義」や「社会主義」の欠点としては、「計画経済」という言葉のとおりに、「国民の行動」を制限した結果として、「個人の自由行動」の成果である「閃き」などの「天の智慧」が得られにくくなる点が指摘できるのである。

具体的には、「エジソン」や「ニュートン」などに対して、「国家が定めた、興味を持てないような開発テーマを与える状況」のことでもあるが、現在の「自民党の政策」を見ていると、まさに、「ソ連時代の国家運営」を彷彿とさせる状況のようにも感じている。つまり、「国家が定めたテーマ」について「国家の資金を与える」というように、「国民の自由度」が狭まった状況のようにも思われるのである。

しかも、現在は、「1971年のニクソンショック」から始まった「信用本位制」とでも呼ぶべき通貨制度の下、「国家が大量の資金を供給している状態」となっており、その結果として、「国家の権力」は、人類史上、最強、かつ、最大の状態となっているようにも考えられるのである。別の言葉では、「物質文明」という価値観を追い求めた「西洋の時代」が、最後の段階に差し掛かった結果、「大量のマネー」が創り出されたものの、「個人の自由度」が限定された状況のことである。

つまり、現在の「個人」、あるいは、「国民」は、「大鍋の中でかき回され、形を失った小魚のような状態」となっており、このことが、「環境問題」や「人権問題」、そして、「精神的な疾病」などの「さまざまな問題」を生み出しているものと思われるのである。しかも、現在は、「デリバティブの大膨張」が産み出した「大量のデジタル通貨」が、ほとんど使い果たされた状態となっていながらも、いまだに、この点が、ほとんど理解されていない状況となっていることも見て取れるのである。

具体的には、「中央銀行の中央銀行」と呼ばれる「BIS(国際決済銀行)」が指摘するように、「インフレ税でしか国家財政が維持できないような状況」、すなわち、「紙幣の大増刷が、間もなく、実施される可能性が高まっている状況」でありながら、この点がほとんど理解されていない状況のことだが、今後の注目点は、やはり、「世界的な金利上昇が始まった時に、どのような金融混乱が発生するのか?」だと考えている。