本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.11.16

理性と知性

東工大名誉教授の「森政弘氏」によると、「目でみる」という行為には「見、視、そして、観」という文字が存在するものの、「耳できく」という行為には「聞と聴」しか存在せず、そのために、「観」に相当するのは「観音」、すなわち、「音を観る」という行為ではないかと説明されている。そして、この点を「空海の真言密教」にあてはめると、「理法身」と「智法身」に相当するものと思われるが、実際には、「目で見える物質」に対する知恵が「理性」であり、また、「目に見えない天の秘密」に対する知恵が「知性」と区別されているものと考えている。

別の言葉では、「自然科学」という「目に見える現象を、数字や数学などの数霊(かずたま)を利用して解明する学問」が「理法身」であり、また、「智法身」が「社会科学」という「目に見えない人間の心に関する現象を、言葉や音などの言霊(コトダマ)を利用して解明する学問」のようにも感じられるのである。つまり、「天や神の智慧」に関しては、今まで、「万有引力の法則」や「相対性理論」などの応用により、「目に見える部分」が、ある程度、解明された状況のようにも思われるのである。

しかし、一方で、「人類の行為」を表す「経済学」や「哲学」などの「目に見えない分野」については、「マネーの大膨張」により「人類が地球に住めなくなるような環境破壊までもが発生する可能性」も危惧されているのである。つまり、「仏を作って魂を入れず」という言葉のとおりに、「技術」が進化しながらも、「道徳」や「倫理」については、「ケダモノ以下の水準」となっている状況のようにも感じられるのである。

そして、この点に関して興味深い事実は、「マネー(お金)の性質変化」でもあるが、実際には、過去100年間で、徐々に、「目に見える金属」から「目に見えない数字」へと変化し、また、「量的に急激な拡大をした状況」のことである。つまり、現在では、「お金」が「神様」という「信仰の対象」となったものと考えているが、今後の注目点は、たいへん近い将来に、「神から紙への変化」が発生する可能性である。

具体的には、以前から頻繁に指摘しているように、「世界各国の中央銀行が、徐々に紙幣の増刷を始めている状況」となっているが、現在でも、この点を憂慮する人は、世界的に、ほとんど存在しない状況とも言えるのである。そして、この理由としては、「日本は神の国だから戦争に負けるはずがない」と信じ込んだ「76年ほど前の日本人」と同様に、「デジタル通貨への過度な盲信」が存在するものと考えている。