本間宗究(本間裕)のコラム
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2020.12.7
煩悩即菩提のメカニズム
仏教が教えることは「成仏」という「誰でも仏のような存在になれる」ということであるが、この点については、「天爵」と「人爵」の違いも考慮する必要性があるものと考えている。つまり、「天の爵位」という「人間の身分や高貴さ」については、「それぞれの努力で、仏様のようなレベルにまで高めることが可能である」と理解されているが、一方で、「地位や名誉、あるいは、お金」などの「人の爵位」については、「努力よりも運が支配する可能性」が高い状況のようにも感じられるからである。
より具体的に申し上げると、「西暦1200年から2000年まで」の「西洋の時代」においては、「地位や名誉、そして、お金」などの「人爵」が「成功の価値基準」となった時代であり、人々は、どのような手段を使ってでも、目に見える成功を求めようとしたものと思われるのである。つまり、この時期は、「富が支配した時代」であり、最後の段階では、「お金」が「神様」となったものと考えているが、今後、注目すべき点は、やはり、「神から紙への変化」であり、この点については、「いずれ起きるとわかっていながらも、リスクの高さが無視されている状況」のようにも感じられるのである。
ただし、このような「ブラックエレファント」と言われる現象については、「過去の歴史」を遡ると、「明治維新」や「第二次世界大戦」などのように、頻発している状況とも思われるのである。そして、この点については、「煩悩即菩提」という言葉のとおりに、「人間の煩悩」が燃焼された時に、「菩提の智慧」に到達する可能性が指摘できるとともに、「個人の人生」にも応用が可能な状況のようにも感じている。
具体的には、私自身の「心の仮説」において、「頭脳」と「心」と「魂」とが一直線になり「対象物に向かう状況」、すなわち、「ある物事に没頭し、多くの悩みや苦しみを感じた時に、心が魂の奥深くに存在する天や神の智慧に到達する状況」のことである。つまり、「エジソン」や「ニュートン」などが経験した「自然科学の発展に貢献した偉大な知恵の獲得」のことだが、今後は、この方法が「社会科学」に応用されるものと思われるのである。
より具体的には、「軍事力や資金力の奪い合い」ではなく、「人類が、地球上に存在可能な状況を構築する知恵」のことであり、今後は、この点を理解した人や企業、そして、国家が、大きな発展を遂げるものと考えられるのである。つまり、現在の「SDG(持続可能な成長目標)」について、「人類が、どのようにして、技術を利用するのか?」という「自然科学」よりも、「人類の行動」を表す「社会科学」に重点が置かれる可能性のことである。