本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.12.16

西洋文明と東洋文明

哲学者の梅原猛氏によると、西洋文明の特徴は「闘争」や「支配」にあり、また、東洋文明の特徴は「和合」や「調和」にあるとのことだが、私自身としては、「奪い合い」と「分け合い」との違いのようにも感じている。つまり、「西暦1200年から2000年」の「西洋の時代」を検証すると、実際には、「目に見えるもの」である「富や社会的な地位、そして、名誉」などを奪い合った時代だったものと考えられるのである。

より具体的には、「西暦1600年前後」に確立された「時は金なり」という思想を分岐点として、その後の「約400年間」は、「技術力」を背景にした「工業化」や「産業革命」などの時代だったことも見て取れるのである。別の言葉では、「軍事力」を背景にした「帝国主義」が「土地や資源などの奪い合い」であり、また、現在の「グローバリズム」については、「世界的な資金の奪い合い」とも考えられるのである。

このように、西洋文明の価値基準は、軍事力や資金力を背景にした「権力」を持つことでもあったようだが、この結果として発生した現象は、「人類全体が、地球から淘汰される可能性」だったようにも感じている。別の言葉では、現在の「お金が神様となった時代」については、「1600年ほど前に発生した西ローマ帝国の崩壊」を彷彿とさせる状況のようにも感じられるのである。

そして、今後は、「西暦400年から1200年」に繰り広げられた「東洋の時代」が、新たな形で再展開するものと考えているが、この点に関して、私が注目するのは、「西暦800年前後」に確立された「真言密教」である。つまり、「空海」が確立した「言葉の宗教」のことでもあるが、残念ながら、その後の「約400年間」については、現在の「マネー」と同様に、「宗教の形骸化」が進行した状況だったようにも感じられるのである。

具体的には、「法然」や「親鸞」などの「念仏仏教」により、一般の人々にまで「仏教の教え」が行き渡ったものの、その後は、「武士の時代」が始まったことにより、人々の興味と関心が、「領土の奪い合い」へ転換した状況のことである。つまり、「空海の十住心論」が指摘するように、当時の人々が求めるものは、「精神的な地位の向上」だったわけだが、実際には、いつの間にか、「目に見えるもの」が求められるようになったのである。そして、この点を、現在にあてはめると、形骸化した「マネー」が急速に価値を失う展開が想定されるが、実際には、「デジタル通貨」という「目に見えないマネー」が、「目に見える紙幣」に変化し、人々が、「お金の謎」に気付く事態のことである。