本間宗究(本間裕)のコラム

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2020.12.17

人生の醍醐味

人生の醍醐味は「気付き」にあると思われるが、この点に関する注意点は、「他人の気付き」と「自分の気付き」を区別することだと感じている。つまり、「自分の気付き」は、往々にして、「他人がすでに気付いていたこと」であり、その結果として、「真似ぶ」や「学ぶ」という行為が意味する「教え」や「教育」で補われる状況とも言えるのである。

ただし、過去数百年の歴史を振り返ると、「西暦1600年前後」から、「哲学」や「自然科学」の面において、さまざまな「気付き」が発生し、急激な発展期に入ったことも見て取れるのである。つまり、「デカルト」や「ニュートン」などが、「自分独自の気付きや閃き」により、「天や神の智慧」を得ることができたものと思われるが、この点に関する問題点は、やはり、「社会科学の遅れ」とも考えられるのである。

具体的には、「カント」や「ヘーゲル」以降の「西暦1800年前後」から、「資本主義」や「経済学」などが発展し、「マネーの大膨張」が始まったものの、一方で、「自分とは、いったい、何者なのか?」という「哲学の根本命題」が問われることが少なくなったものと考えられるのである。つまり、この期間は、「お金が神様の地位へ昇りつめていった時代」であり、この時の「人々の意識と行動」は、「お金儲け」に繋がる「発明」が尊重されたものと想定されるのである。

しかし、反対に、「人々の道徳心」を制御する「社会科学」が忘れ去られ、結果として、「地球環境の破壊」というような展開となったわけだが、この理由としては、「西洋の唯物論」が行き過ぎた結果として、「東洋の唯心論」が忘れ去られた状況とも言えるようである。そして、今回の「コロナ・ショック」については、「命」や「心」の重要性を再認識するキッカケの事件になったものと考えているが、実際には、「お金の謎」や「心の謎」という「人類が未解決の命題」について、今後、より多くの人々が考え始める可能性であり、この点に関して、重要な意味を持つのが、冒頭の「自分の気付き」だと感じている。

具体的には、「一期一会の精神」、すなわち、「現実に対して真摯に向かい合い、いろいろな気付きを得ること」であり、この結果として、「人類のさらなる進化」に繋がる状況のことである。つまり、高度に発展した「技術」を利用して、地球と共生できる「生き方」を見つけることでもあるが、この点に関して、最も注目すべき点は、やはり、「デジタル通貨の完全消滅」により、「実体経済」を上回る「マネー経済」の部分が雲散霧消する事態であり、実際には、私が想定する「新型のインフレ」のことである。