本間宗究(本間裕)のコラム

* 直近のコラムは、こちら

2021.1.6

悪魔のひき臼

名著「大転換」の著者である「カール・ポランニー(1886年-1964年)」は、「マネー理論」についても卓越した意見を持っていたが、具体的には、「貨幣の量は、たまたま貨幣として機能している財の需給によって決定される」と述べているのである。つまり、当時の状況としては、「たまたま貨幣として機能している財」、あるいは、「間接的交換手段として使用される商品」が「金や銀などの貴金属」だったことも見て取れるが、私の関心事としては、「仮に、ポランニーがニクソンショック後の世界を見たら、どのようなコメントを述べるのか?」ということである。

つまり、現在のように、「デジタル通貨」と呼ばれる「影も形も存在しない、単なる数字」が「貨幣の財」となっている状況については、大きな驚きと危機意識を持つものと思われるが、その理由としては、「土地と労働の市場経済化、あるいは、商品化」に関して、痛烈な警告を発していたからである。具体的には、「大自然を象徴する土地」、そして、「人間を象徴する労働」が「貨幣の量」によって決定されるとすると、「マネーの大膨張」がもたらすものは、まさに、「悪魔のひき臼」という言葉のとおりに、「大自然」と「人間の心」の「破壊」とも想定されるのである。

このように、「ポランニーのマネー理論」については、きわめて重要なポイントを指摘しているが、残念なことは、実際の「市場経済」、あるいは、「人間社会」の分析に関して、より複雑な要素を加える必要性が存在した点である。別の言葉では、「大転換」の時期に関して、「第二次世界大戦の終了時」を想定したようだが、実際には、「戦争による破壊」だけでは不十分な状況だったものと考えられるのである。

つまり、現在は、「悪魔のひき臼」により、「人間の心」が完全に「粉々の状態」となり、また、「大自然」が「人間を淘汰し始めている状況」とも思われるが、この点については、「たまたま貨幣として機能している財」である「デジタル通貨」が、無制限に大膨張が可能な性質を持っているからとも考えられるのである。

別の言葉では、「西洋文明の産み出した富」については、最後の段階で、「目に見えないデジタル通貨」となり、大量の「デリバティブ」という金融商品を生み出したわけだが、現在では、本当の「大転換」である「西洋文明から東洋文明への移行」が始まっており、この点に関して時に重要なポイントは、「心のルネッサンス」であり、実際には、「粉々の状態となった人々の心が復活を始める事態」だと考えている。