本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.1.12

政治家と政治屋

「政治家」というのは「国家百年の計を考えながら、国民の幸せを望む人々」であり、また、「政治屋」というのは、「自分の地位や名誉、そして、お金のために、どのような手段でも行使する人々」だと考えている。そして、この観点から、現在の「政治に携わる人々」を眺めてみると、どうしても、「政治屋」が多くなっている状況のようにも感じているが、この理由としては、「バブル崩壊以降、組織内の権力闘争が盛んになってきた点」が指摘できるようにも感じている。

つまり、この前後から、日本人が「内向きの状態」になってきたものと思われるが、実際には、「対外的な競争力の向上」に邁進する人々よりも「組織内での権力獲得」に励む人々が、組織内での地位を獲得していった状況のことである。別の言葉では、「不良債権」の発生と移行に伴い、「失敗を恐れ、リスクを取らない人々が、組織内で重用された可能性」のことであり、私自身は、このことが、「日本の失われた30年」の原因だと考えている。

より詳しく申し上げると、「戦後の日本」では、「経済や金融の面で、西洋諸国に追い付き、追い越す」という目標が存在したわけだが、「1980年代のジャパン・アズ・ナンバーワン」という「ほめ殺し」以降、「目標を失い、組織内での権力闘争に明け暮れた可能性」が存在するのである。そして、最後の段階では、「第二次世界大戦末期の日本」と同様に、「権力の暴走」が発生したものと想定されるが、実際には、「政治家や官僚が、金融政策やコロナ対策などで、いろいろな失敗を重ねている状況」のことである。

別の言葉では、「日本人の精神的な堕落」が、「民間から金融機関、そして、官僚や政治家へ移行していった展開」とも言えるようだが、このことは、「不良債権問題の隠避や先送りに奔走していた結果としての出来事」のようにも感じられるのである。つまり、「より巨大な組織へ不良債権を移行させることにより、時間稼ぎが行われた状況」のことだが、現在は、いよいよ、「紙幣の増刷」という方法しか残されていない段階とも想定されるのである。

そして、この状況を象徴するのが、「政治家のコメント」のようにも思われるが、実際には、「話にならない人々」や「自分の意見を持たない人々」が、数多く見られる状況のことである。つまり、今までは、「組織内での権力闘争」に明け暮れてきたために、「国民へのコメント」が必要とされなかったものの、現在では、「コロナ・ショック」などの「有事の事態」に直面したものの、どのような手を打つべきかが理解できない状況のことであるが、私自身としては、今後の「本格的な金融大混乱」が気にかかる次第である。