本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.1.18

西洋の人間至上主義

現在、「民主主義の危機」が指摘されているが、この点について、過去の歴史を振り返ると、実際には、「西洋における人間至上主義の危機」ではないかと感じている。つまり、「人間は自然を征服すべき存在であり、そのような役割を負っている」という誤解のことだが、実際には、「ヤスパースの枢軸論」のとおりに、「技術革新による実体経済の成長」に酔いしれ、奢り高ぶった人類が、「地球環境の調和を乱し、大自然から淘汰され始めた状況」のようにも思われるのである。

そして、この点に関しては、「1600年前の西ローマ帝国」においても、ほとんど同じ状況が展開したようだが、実際のところ、「アウグスティヌス(西暦354年-430年)」の「神の国」という著書では、「神への批判は許されたものの、人間への批判が許されず、結果として、人々は、神よりも人間の方が勝っていると考えるようになった」と述べられているのである。

このように、「西洋の時代」においては「富の遠心力」の結果として、「社会全体の輪」が広がり、その結果として、個人の関心事は、「輪の中心に位置する神や天」から「輪の輪郭に位置する他人」に向かう傾向が存在するものと思われるのである。つまり、「神は死んだ」というニーチェの言葉のとおりに、「神よりも人間が優位に立つ時代」が到来したようだが、この点に関して興味深い事実は、「西ローマ帝国の崩壊以降、人々は、再び、神や天に興味を持ち始め、信仰を深めるようになった」という展開である。

より具体的には、「財政悪化が引き起こした大インフレ」により、「西ローマ帝国」は、蛮族の襲撃をキッカケにして、あっという間に滅んだわけだが、「神の国」という著書では、「なぜ、西ローマ帝国が滅んだのか?」が、詳しく説明されているのである。具体的には、「人間の堕落」が指摘されているが、私自身としては、「文明法則史学」のとおりに、「800年毎の文明移動」が発生することにより「人類の絶えざる進化と発展」が築かれるものと考えている。

つまり、聖書で述べられているように、「人は神と冨とに兼ね仕えることはできない」という状況のことだが、実際には、「人々の興味と関心が、800年毎に、富と神へ向かう状況」とも言えるようである。そして、現在は、「神から紙への変化」により、あっという間に、「マネーの収縮」が発生し、その結果として、世界中の人々が、歴史を訪ね始める状況も想定されるのである。