本間宗究(本間裕)のコラム
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2021.1.17
救いの確信
現在、いろいろな古典を読みながら、私自身の「心の座標軸」と「心の仮説」を検証している状況でもあるが、この点に関して重要なポイントは、「救いの確信」という言葉のようにも感じている。つまり、「お金があれば救われる」という認識のことだが、実際には、「マックス・ヴェーバー(1864年-1920年)」の著書である「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」において、「禁欲的プロテスタンティズムが、『利潤の肯定』と『利潤の追求の正当化』を生み出した」とも説明されているのである。
より具体的には、「心の座標軸」のとおりに、「過去数百年間で、人々の価値観が神から冨へと移行した状況」のことでもあるが、実際のところ、「西暦1200年」という「東洋から西洋への時代転換期」においては、「利潤の追求」は「悪」であり、「神への信仰が『救い』の根源である」と理解されていたのである。そして、その後の展開としては、「さまざまな職業の誕生」、そして、「富の増大」により、徐々に、「人々の合理性」に関して「内容の変化」が発生し、徐々に、「富による救い」が求められたものと想定されるのである。
このように、「人々は、合理的、すなわち、理に合った行動をする」という認識に関して、実際には、「何が、本当の理なのか?」という点が、時代とともに変化するものと考えている。具体的には、「神様の救い」から「お金による救い」へ、800年間で、大きな変化を見せた状況のことだが、現在では、「お金(マネー)が神様となり、お金儲けのためならどのようなことでも行う」という「価値観」が支配しているのである。
しかも、「マネーの残高」に関しては、「1971年のニクソンショック」以降、きわめて急激な大膨張を見せた状況でもあるが、このことは、「お金を持っていれば救われる」という認識の帰結とも想定されるのである。つまり、「800年前の人々」は、「神への強い信仰があれば、現世だけでなく来世においても救われる」と理解したようだが、現在では、「来世が認識されず、現世だけの幸福が求められている状況」とも言えるのである。
そのために、今後の注目点としては、やはり、「神から紙への変化」であり、実際には、「中央銀行の紙幣増刷」が引き起こす「デジタル通貨の完全消滅」とも思われるのである。そして、「このような状況下で、何が、『救いの確信』となるのか?」ということが、今後の注目点であり、実際には、「1945年の日本」や「1991年のソ連」のように、「ハイパーインフレに見舞われた人々が、お互いの助け合いにより生き延びた状況」、すなわち、本当の意味での「共同体(コミュニティー)の復活」が参考になるものと考えている。