本間宗究(本間裕)のコラム
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2021.3.11
天使と悪魔
西洋の古典を読むと、頻繁に「天使(エンジェル)と悪魔(サタン)」という言葉が出てくるが、われわれ日本人にとっては理解が難しい概念とも思われるために、私自身の仮説を述べてみたいと思う。具体的には、「天爵」という「自分自身の努力で向上可能な精神的レベル」と、「人爵」という「自分の努力だけでは達成が難しい地位や名誉、そして、お金などのレベル」の関係性において、今までは、「精神的なレベルが高い人が天使であり、また、低い人が悪魔である」と誤解していたようにも思われるのである。
つまり、「弘法大師の十住心論」で述べられている「十段階の精神的なレベル」を想定すると、「八や九のレベルの人が天使で、そして、一や二のレベルが悪魔ではないか?」と考えていたが、実際には、全く違った状況のようにも感じられたのである。具体的には、「精神レベルが五の人」を考えた場合、「自分より上のレベルの人を尊敬し、謙虚に努力する場合」、その人は「天使」であり、一方で、「自分よりレベルが低い人を軽蔑し、奢り高ぶった感情を抱く場合」、その人は「悪魔」になるものと考えられるのである。
このように、「すべての人が、心持ち次第で、天使にも悪魔にもなる可能性が存在するのではないか?」ということが、現時点の「私の仮説」である、しかも、この点については、「800年間にも及んだ西洋の時代」、すなわち、「徐々に、唯物論が信じ込まれ、マネーの大膨張が発生した時代」においては、「精神的なレベル」よりも「地位や名誉、そして、お金」を求める人々が増えていった状況とも想定されるのである。
つまり、この期間は、「悪魔のひき臼」により「それまでの価値観や倫理観などが壊された状況」でもあったわけだが、結果としては、「貧富の格差」という「人爵におけるレベルの違いが際立った社会」が産み出されたことも見て取れるのである。別の言葉では、「お金があれば救われる」と錯覚した人々が、数多く存在する状況のことでもあるが、この結果として発生した現象は、「多数の自殺者」や「いじめなどの頻発」だったのである。
より具体的には、「他人よりも高い地位や名誉を得て、多くのお金を持つこと」に価値観を置いた「悪魔のような人々」が増えた結果として、たいへん住みにくい社会が形成されたようにも感じられるのである。ただし、今後の展開としては、「命よりも大切にされた現代の通貨」、すなわち、「デジタル通貨」が「紙幣」に取って代わられるという「神から紙への変化」が発生し、その時に、「役に立たない大量の紙幣」を抱え込んだ人々が、「天使」のような存在となり、「精神レベルの向上」を目指し始める状況も想定されるようである。