本間宗究(本間裕)のコラム
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2021.4.11
皇室の存在意義
1945年9月27日、敗戦国である日本の代表として、天皇陛下は米国のマッカーサー元帥と面会し、一つの「お願い」を請われたと言われている。具体的には、「私の命はどうなってもよいが、日本国民の命だけは助けてほしい」というものであり、その時、同時に、「天皇陛下の全財産」を差し出されたそうである。つまり、「天皇陛下は、国民と一体同心であり、国民のためなら、自分の命も財産もすべて投げ出す」ということが、いわゆる「帝王学」の基本の一つとも言えるのである。
別の言葉では、「人間の性(さが)」を熟知することでもあるが、実際には、現在の「ミャンマー国軍」のように、「自分の利権を守るためなら、多くの国民を平気で虐殺する」ということも、「人間に関する性質の一つ」とも想定されるのである。そのために、当時の「マッカーサー元帥」は、「天皇陛下の覚悟」に驚き、「天皇制は存続すべきである」と認識されたものと思われるが、このことが、「国民と寄り添う態度」とも考えられるのである。
つまり、第二次世界大戦で犠牲になった多くの人々の慰霊に、昭和天皇や平成天皇は、多くの時間を費やされてこられたわけだが、この事実を熟知する日本国民は、今まで、「皇室への尊敬の念」を保つことが可能だったものと思われるのである。別の言葉では、「皇室や宮内庁は、決して、日本国民の期待を裏切るような行為はしない」という「暗黙の了解」が存在したものと思われるが、今回の「眞子内親王の結婚問題」に関しては、全く違った方向へ向かっているようにも感じられるのである。
具体的には、「日本国民の意向を無視して、権力の暴走が始まった可能性」のことだが、この点については、今後の数か月間が、大きな注目の時期だと感じており、実際のところ、私が危惧する展開は、「皇室や宮内庁が主導して、強引に結婚を実施する可能性」である。つまり、「皇室が国民に寄り添わずに、ミャンマー国軍のような態度をとる可能性」のことでもあるが、このことは、「日本国民の命」ではなく、「日本国民の心」を殺すような行動とも考えられるのである。
より具体的には、「戦後の約77年間」にわたり、「国民と皇室が一体となり、戦後の復興を果たしてきた状況」だったわけだが、現在では、「お金を得るために、利権や特権を保有することが最も重要である」というような認識が「政治家や官僚を含め、全国民に浸透している状況」であり、このことは、「金融敗戦」が間近な状況を意味するとともに、「今回の結婚問題」が「国家や皇室への信頼感喪失」を決定づける可能性とも想定されるのである。