本間宗究(本間裕)のコラム
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2021.6.1
唯物論から唯心論への大転換
テニスの全仏オープンにおける「大坂なおみ選手の問題提起」については、「唯物論から唯心論への大転換」を象徴する典型的な出来事のようにも感じている。具体的には、「西洋の唯物論」の最終段階で、「マネーの大膨張」が発生し、「全体」に比べて「個人の力」が弱くなる状況のことである。つまり、「世界中に存在する数多くのファン」、そして、「スポーツを利用して自社商品の売り上げを増やそうとするスポンサー企業」に対して、「個人の発言力」が相対的に弱体化する事態のことである。
別の言葉では、「心」が、「お金や名誉などの目に見えるもの」、すなわち、「脳が把握する状態」に執着しすぎた結果として、本来あるべきはずの「精神」に対する「心の回帰」ができなくなる状態のことである。つまり、「心の健全な機能」としては、「安心」という言葉のとおりに、「肉体」と「精神」との間で「安定した心の循環」が行われている状況とも思われるが、実際には、「試合の勝ち負け」という結果だけに拘るのでではなく、「自分が、この試合で、どれほどの精神的な成長を達成できたのか?」を考えることである。
より具体的には、「試合に負ける」あるいは、「自分が失敗する」という「恐怖心」に執着するのではなく、「負けた時の方が、より大きな気付きを得られる可能性」、あるいは、「自分よりも強い選手に出会い、更なるチャレンジを必要とする思い」を抱く重要性の理解である。つまり、「心の柔軟性」という「自由自在に現象界と精神界を行き来できる状況」を作ることであり、このことが、本当の意味での「心の安定性」とも考えられるのである。
そして、このことが、「宗教」や「哲学」に携わる人々が、3000年前から求めてきたことだったと思われるが、残念なことは、「肉体」と「精神」には気づきながらも、「心がどのようにして発生するのか?」に思いが至らなかった点である。つまり、「悩み」や「苦しみ」は、「動物の肉体」と「神の精神」を合わせ持った「人間」にしか経験できないことであり、実際には、「神の恩恵」である可能性のことである。
別の言葉では、「文明法則史学」が教えるとおりに「800年ごとに、東洋の精神文明と西洋の物質文明が交代することにより、人類の精神レベルが向上する可能性」のことであり、このことが、現在、数多くの「心の病」が発生する主な原因とも感じられるのである。つまり、「大膨張し、力を持ったマネー」が「悪魔のひき臼」となり「人間の心」や「既存の価値観」を壊している状況のことだが、この点については、すでに発生している「世界的な大インフレ」が治療の特効薬になるものと考えている。