本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.7.21

西洋哲学の存在論

「ハイデッガー(1889年-1976年)」の「存在と時間」によると、「西洋哲学の存在論」は、「アリストテレス(紀元前384年-332年)」の頃から議論が始まり、その後、「私は考える、故に、私は存在する(われ思う、故に、我あり)」という言葉で知られる「デカルト(1596年-1650年)」などに引き継がれたものの、いまだに、「私とは一体誰なのか?」、「考えるとは、どういうことか?」、あるいは、「存在とは、何を意味するのか?」などの疑問が解決できない状況とも指摘されている。

つまり、「存在の意味」という「なぜ、いろいろな現象が、実際に発生するのか?」という問題が、いまだに解決されていないわけだが、この点については、「人知」と「神の計らい」が、大きな意味を持っているようにも感じている。別の言葉では、私自身の「45年に及ぶ相場の経験」が参考になるものと思われるが、実際には、「人々の予想や既存の理論が、ほとんど役に立たなかった状況」のことである。

より具体的に申し上げると、「1971年のニクソンショック以降のマネー大膨張」については、「人類が、全く、予想できなかった展開」であるものの、「100年ほど前から始まったミクロの物理学革命」については、「神の計らい」であり、また、「目に見えないデジタル通貨が、どのような役割を果たすのか?」を想定したうえでの変化だったようにも感じられるのである。

つまり、「相場は常に正しく、また、実際に発生した現象は、すべてが神の思惑によるものである」ということが、現時点の「私の感想」でもあるが、この点に関して、「人知は、詭弁的な役割しか果たしていなかったのではないか?」とも思われるのである。別の言葉では、「神の智慧に到達できた人々が、実際の成功者だった」という感想のことでもあるが、同時に注意すべき点は、「神には、最初に持ち上げて、その後、谷底に落とす傾向」があるようにも考えられるのである。

具体的には、「バブルの発生と崩壊」に関する数多くの例からも明らかなように、「宇宙の法則」には、結局のところ、「長期の観点において、すべてが平等になる」という点に収束するものと想定されるのである。あるいは、「日々の生活を繰り返しながら、どれほどの深みにまで、自分の心を掘り下げ、神の智慧に到達が可能なのか?」ということでもあるが、これから想定される「世界的な金融敗戦」、そして、「インフレの大津波」については、この点に関する最も大きな具体例のようにも思われるのである。