本間宗究(本間裕)のコラム
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2021.7.27
真理と哲学、そして、詭弁
「ヘーゲル(1770年-1831年)の精神現象学」によると、「真理は哲学でしか発掘できない」とのことだが、この点については、「投資の実践」を経験した人々にとって、簡単に理解できる意見のようにも感じている。つまり、「相場は常に正しい」ということが、私自身の「45年間に及ぶ投資の実践」から得られた「真理(神の理)」であり、また、実際には、「なぜ、このようなことが起こるのか?」という「驚き」の連続だったようにも思われるのである。
より具体的には、「さまざまなバブルの発生と崩壊」、そして、「マイナス金利の発生」などのように、「人知」や「既存の理論」では、理解不能な出来事が頻発した状況だったのである。そして、最も驚かされた出来事は、やはり、「デリバティブのバブル発生」と「史上初めての長期間に及ぶ超低金利状態」だったが、私自身としては、「根底に、どのような変化が発生しているのか?」を考え続けてきた状況だったのである。
つまり、「実際に発生する現象」である「世の中の真理」を考え続けてきたものの、実際のところ、われわれ人間にとっては、「実際に発生した出来事でしか、神の思惑を知ることができない状況」とも言えるのである。別の言葉では、「人知の未熟さ」を補う方法として、「なぜ、このようなことが起こったのか?」を考え続ける手段である「哲学」が与えられたものと考えられるのである。
このように、「人類の歴史」は「動物の肉体を持った人類が、神の智慧に到達する歴史」のようにも感じているが、実際には、「積み上げられた真理」の応用により、より高度な社会が形成された展開のことである。そして、この時に注意すべき点は、「詭弁」という「熟慮が欠けた意見」であり、具体的には、「リスクオフで資金が国債に流れ、その結果として、金利が低下している」というような「根拠なき意見」である。
つまり、「真理」に辿り着くためには「深い思索」が必要であるものの、ほとんどの場合において見受けられることは、「思考停止した結果の短絡的な意見」、すなわち、「哲学が欠けた意見」のようにも感じられるのである。そして、この点については、今回のような「歴史的な大転換期」において、頻繁にみられる傾向のようにも思われるが、重要なポイントは、「これから、どのような時代が訪れるのか?」、あるいは、「今後の金融大混乱期を、どのようにして生き延びるのか?」を考えながら、「熟慮を経た後の意見」である「真理」を求める動きだと考えている。