本間宗究(本間裕)のコラム
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2021.9.20
一寸の虫にも五分の魂
「西洋の思想」では、「魂を持っているのは人間だけである」ということが一般的な理解となっているようだが、「東洋の思想」では、反対に、「一寸の虫にも五分の魂」の諺のとおりに、「すべての動物に魂が存在する」と理解されている。あるいは、「梅原猛氏」が主張する「草木国土悉皆成仏」という考え方のように、「大自然に存在するものは、すべて、神や仏と、インドラの網で繋がっている」という認識も存在するようである。
より具体的に申し上げると、「138億年前に誕生した大宇宙」、そして、「46億年前に誕生した地球」からの「大きな流れ」を考えると、「人間のみならず、すべての存在に、魂が存在する」という理解の方が正しいものと感じられるのである。別の言葉では、「動物の生態」を見ると「心の存在」を確信せざるを得ない情況でもあるが、この点に関して注目すべき事実は、「人間には、言葉による智慧の蓄積があり、また、高度な分業体制の発展により、高度な技術文明が存在する状況」とも思われるのである。
つまり、「数千年前から、人類が、どのような発展の歴史を辿ってきたのか?」を考えると、結局は、「大自然の仕組みを理解する自然科学」、そして、「人間社会の仕組みを理解する社会科学」の発展によるものと思われるのである。別の言葉では、最初に、「自然科学」が発展し、その後に、「社会科学」が追いつく展開のことでもあるが、現在の問題点は、やはり、「11次元にまで達した自然科学」に対して、いまだに、「3次元や4次元の段階にとどまっている社会科学」とも言えるようである。
より具体的には、「人類の欲望の塊」、あるいは、「悪魔のひき臼」とも言える「マネーの存在」により、「大自然が破壊され、人類の生存そのものが脅かされた状況」のことである。そして、この問題を解決する方法としては、「法界(ほっかい)」に存在する「神の智慧」を「人間社会」に移行することとも思われるが、この時に、大きな役割を果たすのが、「量子力学」や「分子生物学」などの「ミクロの分野」とも想定されるのである。
つまり、「目にも見えず、言葉にも聞こえない神の智慧」については、「霊感」や「直観」などの、いわゆる「インスピレーション」でしか到達可能な状況とは言えないのである。そして、この方法を実践したのが、「エジソンなどの数多くの先人」であり、実際には、「99%の努力(パースピレーション)」の後に、初めて、「神の智慧」に到達するわけだが、現代人の問題点は、「お金や地位や名誉などの『人爵』を求めるだけで、『天爵』という哲学や思索などで得られる境地を軽んじている状況」だと感じている。