本間宗究(本間裕)のコラム
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2022.3.3
独裁者の暴走と社会の木鐸
「20世紀のヒットラー」と同様に、「21世紀のプーチン」が、将来、人々の記憶に、永遠に残るものと思われるが、この点に関して、我々が解決すべき問題は、「人々が、なぜ、独裁者の暴走を許したのか?」ということである。そして、この理由の一つとしては、「非理法権天」という言葉のとおりに、「多くの人々が、国家の法律などに縛られ、結果として、仏法や天地自然の理から離れていった状況」が指摘できるものと感じている。
具体的には、「唯物論」を基本的な理念とした「西洋社会」に関して、「西暦1200年から2000年という期間に、どのような変化が発生したのか?」を考えた時に、どのような「独裁者の暴走」についても、基本的には、「社会の木鐸」と呼ばれる「マスコミ」などの機能不全が、原因の一つとして挙げられるものと思われるのである。つまり、「フェイクニュース」や「真実の隠ぺい」のことでもあるが、この点は、現在のような「デジタル万能の社会」において、より一層、注意すべき問題点とも言えるようである。
より詳しく申し上げると、「言語の二面性」のことでもあるが、実際には、「言葉や文字などには、表面上の意味と、内面に隠された思いが存在する状況」となっており、今後は、この点に対する深い理解が必要となる状況のことである。そして、このことは、現在の「デジタル通貨」に関しても、「表示された金額や数字、あるいは、価格で、どれほどの実物資産が購入できるのか?」が、今後、疑問視されるものと想定されるのである。
そのために、これから必要なことは、「第二次世界大戦時の日本」や「現在のロシア」などで頻発した、「平気で噓を付く権力者」や「権力者に忖度して、真実の報道を行わない人々」を見逃さないことだと感じている。しかも、このことには、「簿外取引(オフバランス)で取引されてきたデリバティブ」や「実体経済だけに終始して、マネー経済が無視された既存の経済理論」なども含まれるものと思われるのである。
つまり、これから予想される展開は、「真理を理解した人々が、無事に金融混乱期を切り抜ける状況」であり、また、「虚偽の報道に踊らされた人々が、大きな損失を被る状況」という「真理と虚偽との二極化」とも考えられるのである。より具体的には、「デジタル通貨」を盲信する人々が、戦後の日本人のように、「ある日、突然に、時代の大転換を認識させられる可能性」のことでもあるが、このような観点から、今回の「ウクライナへの軍事侵攻」を考えると、実際には、「軍事力による第三次世界大戦の始まり」ではなく、「資金力による第三次世界大戦の終焉」を意味しているようにも感じている。