本間宗究(本間裕)のコラム

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2022.8.15

現代人のメンタルヘルス

フジテレビの「テレビ寺子屋」という番組で、先日、「メンタルヘルス」の問題が取り上げられていたが、この点については、私自身の「心の仮説」により、ある程度、説明が可能な状況のようにも感じられた次第である。具体的には、「肉体と精神が合体した時に誕生する心」については、基本的に、「時空を超えて、阿頼耶識(あらやしき)にまで到達可能な自由さを持っている可能性」のことである。

別の言葉では、「肉体」による「肉眼」と、「精神」と「心」による「心眼」の二つが存在するものと考えているが、「メンタルヘルス(心の健全性)」については、「欲望」や「恐怖心」などに囚われない状況下で、初めて、達成が可能になるものと感じている。つまり、「心ここにあらざれば、見れども見えず」という「大学」の言葉に示されているように、「心眼」が伴わない「肉眼」が、ほとんど役に立たない可能性のことである。

より詳しく申し上げると、恐怖心に囚われた「肉眼」は、「心眼」に関して「行動の自由さ」を失わせる効果が存在するものと思われるが、実際には、「妄想」などに執着して、「心と精神が分断される状態」のことである。より具体的には、「頂点にまで到達したトップアスリートなどが、地位を失う恐怖心などに囚われて、挑戦する意欲を失う状況」が具体例の一つとして挙げられるものと感じている。

そのために、「メンタルヘルス」を保持する方法としては、「丹田」に存在すると思われる「精神」を、常に意識しながら、「心から望むもの」や「心から湧き出る意識」を大切にする態度だと感じている。つまり、「現在の地位や名誉」だけに囚われるのではなく、「過去の自分が、どのような努力を行ってきたのか?」を振り返りながら、「自分の未熟さを見つめるとともに、今後、どのような努力が必要なのか?」を考えることである。

別の言葉では、「自分の心」が、「肉体」と「精神」との間を自由に行き来することにより、「自分の精神レベル」、すなわち、「天爵」を上げることであり、このことが、「ヘーゲルの弁証法」や「仏教の悟りと成仏」を意味しているようにも感じられるのである。つまり、「西洋文明」が重視する「三次元の社会学」においては、「お金や地位、そして、名誉」などが重要なポイントと理解されているものと思われるのである。しかし、今後は、「東洋文明」が重視する「高次元の社会学」の発展により、「人間の精神性」が、より重要視されるものと思われるが、このキッカケとなる出来事は、やはり、、現在の「デジタル通貨」が、「神から紙へ転換する事態」だと感じている。

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