本間宗究(本間裕)のコラム
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2022.9.17
「成ること」と「成ったこと」
「シュペングラー」の「西洋の没落」という著書には、現在、改めて感動を覚えている状況でもあるが、特に印象に残ったことは、「成ること」と「成ったこと」の「違い」が指摘されている事実である。つまり、「相場の実践」においても、「相場は、常に正しい」という表現のとおりに、「天や神の真理は、実際に発生した現象によってしか、人間に伝えられない状況」とも理解できるのである。
より詳しく申し上げると、「成ったこと」というのは、今回の「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻」などを始めとして、「ほとんど全てが、人知の理解を超えたもの」、あるいは、「ほとんどの人が予想できなかった事態」だったようにも感じられるのである。ただし、この時の注意点は、「いったん発生した現象、あるいは、事実」については、その後、「全ての人が、当たり前の出来事として受け入れる状況」が指摘できるが、一方で、「成ること」である「未来予測」に関しては、「天地自然の理を離れた、人知による勝手な予想」であり、その結果として、「ほとんどが、実現されない展開」となることも見て取れるのである。
そのために、「シュペングラー」としては、「さまざまな歴史書」などを参考にして、「時間のサイクル」を研究したことにより、結果として、「ある程度の未来予測」が可能な状況となったようにも思われるのである。つまり、「1910年代」において、「1800年から2000年が、「貨幣や民主主義が支配する時代」であることを、見事に予言しており、このことは、「社会学そのものが、三次元からから四次元への移行を始めた可能性」を表しているようにも感じられるのである。
別の言葉では、「村山節氏の文明法則史学」の成立に関して、「西洋の没落」という著書が、大きな影響を与えた事実でもあるが、この点に関して、これから必要とされることは、やはり、「お金の謎」や「心の謎」を解明することにより、「四次元から五次元への移行」を図ることだと感じている。つまり、「11次元にまで進化した自然科学」を参考にしながら、「社会科学の次元上昇」を遂行する必要性のことでもあるが、この点に関して、今後、大きな役割を果たすのが、「デリバティブのバブル崩壊」とも言えるようである。
具体的には、「デジタル通貨が、神様の状態から、単なる紙切れに激変する」という「成ったこと」を目撃した人類が、その後、「大きなショックを受けながら、真剣に悩み始める展開」であり、この点については、「1600年前の西ローマ帝国の崩壊を目撃した人々が、その後、真剣に、神様の智慧を追求し始めた展開」が参考になるものと考えている。