本間宗究(本間裕)のコラム
* 直近のコラムは、こちら。
2022.12.29
大都市住人の無宗教性
シュペングラーの「西洋の没落」という著書では、「大都市の住人は、無宗教的な性格を帯びるとともに、内的な空虚や貧困を覚えるようになる」と述べられているが、この点については、私自身の「心の座標軸」で説明が付くものと考えている。また、「大都市の形成」が意味することは、「数多くの小さな共同体が合併する状況」であり、このことは、「宇宙で惑星が形成される様子」と似ているようにも感じている。
より具体的に申し上げると、「西暦400年前後に崩壊した西ローマ帝国」については、実際のところ、「巨大な大都市の崩壊」と「数多くの小さな共同体の発生」という結果を、その後の世界にもたらしたものと思われるのである。つまり、当時の社会は、現在と同様に、「マネーの大膨張が結び付けた人間関係」、すなわち、「お金が神様となった時代」であり、その結果として、「パンとサーカスの生活」が普及し、また、「座業を好む大都市の人々」が増えた状況だったようにも感じられるのである。
そして、この理由としては、「心の座標軸」が示す「目に見えるものを求めながら、自分のために行動する状況」が指摘できるが、その結果として発生した現象としては、「西暦400年、および、その1600年後の西暦2000年前後に、大都市が出現し、マネーの残高が急激な大膨張を見せた状況」が挙げられるのである。つまり、「共同体の規模が、1600年という時間をかけて、徐々に大きくなっていった展開」により、聖書が示す「神よりも富に仕える人々」が増えていった状況のことである。
より具体的には、「お金が全てであり、お金儲けのためには、どのような犠牲も厭わない」というような極端な考えを持つ人までもが、最後の段階で出現したが、この背後には、「この世が全てであり、科学的には、あの世などは存在しない」という認識が存在したものと考えられるのである。つまり、「自分は仮説を作らない」という、ニュートンの言葉で示されるように、「形而上学的要素」が捨て去られた状況が、その後、数百年の時間をかけて、「神は死んだ」と認識される異様な社会を産み出したものと思われるのである。
しかし、「歴史の教訓」としては、「どのようなバブルも、必ず、弾ける運命にある」という点が指摘できるために、現在の「巨大な眼に見えない金融ツインタワーのバブル」、すなわち、「約600兆ドル(約8京円)のOTCデリバティブ」と「約330兆ドル(約4.4京円)の世界債務」の崩壊は、今後、「人類史上、未曽有の規模で、大都市の住人に、心理的な影響を与える状況」が想定されるものと感じている。