本間宗究(本間裕)のコラム
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2023.1.25
共同体の規模と統治の方法
シュペングラーの「西洋の没落」という著書では、「法律」についても、興味深い説明がなされているが、具体的には、「全ての法律が神の権威から生じており、また、都市における法律共同体と、それ以前の信仰共同体が区別されている状況」とも述べられているのである。また、私自身の仮説としては、「共同体の規模により、統治形態の変化が発生する状況」を想定しているが、実際には、「小さな村落」から始まり、最後には、「グローバル共同体」にまで発展した状況下で、「共同体の規模拡大とともに、統治の力が、信仰から法律へと変化していった展開」のことである。
より詳しく申し上げると、「西ローマ帝国の崩壊」により「数多くの小さな共同体」に分裂した社会は、その後、「信用力の増加により、より大きな共同体への結合」へと向かっていったものと想定されるのである。具体的には、「西暦1200年までの東洋の時代」においては、「神の法」を基本とした「信仰共同体」の形成であり、また、その後の「西暦2000年までの西洋の時代」においては、「人の法」を基本とした「大都市の法律共同体」が形成された状況のことである。
そして、このような「人の法」と「神の法」の違いについては、西暦800年前後の「日本」においても、「弘法大師空海」が指摘するとおりに、「国法よりも仏法の方が大切である」と認識されていたことも見て取れるのである。つまり、「時代の経過とともに、神に対する認識が変化した状況」が理解できるが、実際のところ、「100年ほど前の西洋」では、ニーチェが指摘するとおりに、「神は死んだ」と理解されていたのである。
別の言葉では、「西洋文明における唯物論」の象徴とも言える「人間が自然を征服すべきである」というような認識が広がった結果として、「人類が地球の王者となったような状況」が発生したものと考えられるのである。そして、この結果として産み出された現象が、「お金(マネー)が神様の地位にまで上昇した状況」であり、この点については、現時点においても、「世界中の人々が、お金儲けのために、ありとあらゆる手段を行使する状態」となっているようにも感じられるのである。
つまり、「1600年前の西ローマ帝国」と似たような状況とも思われるが、その後の展開としては、「領土の縮小」、そして、「国力の減少」などにより、「通貨の価値」のみならず、「古代ローマ法の役割」までもが、急速な減少に見舞われたことも見て取れるわけだが、現在の世界も、今後、同様の展開が予想されるものと感じている。