本間宗究(本間裕)のコラム

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2024.1.16

マネーの創造と消滅

「米国のFRBが創設された1913年」以降、人類は、「金融面における壮大な実験」を行った状況のようにも感じられるが、実際には、「民間金融機関の発展により、巨大なマネーが創造されながら、現在では、反対に、マネーの消滅が危惧されている状況」のことである。つまり、「民間金融機関のバランスシート」が増大している期間は、「マネーの創造」が実施されたものの、その後、「中央銀行や政府のバランスシート大膨張」、すなわち、「国家によるマネーの吸い上げ」が実施された状況下では、「信用乗数(貨幣乗数)の低下」に象徴される「マネーの実質的な消滅」が始まったことが見て取れるのである。

より詳しく申し上げると、「1913年から1971年の期間」においては、「自動車や電機、あるいは、化学」などの「二次産業」の成長により、「実体経済や民間金融機関のバランスシートが急成長した状況」だったことが理解できるのである。ただし、「1929年の大恐慌」に関しては、「政府の財政状態」が健全でありながら、「1923年に発生したドイツのハイパーインフレの再来」を恐れて、「金融引き締めを実施し、民間金融機関の連鎖破綻を引き起こした」という状況だったことも見て取れるのである。

別の言葉では、当時の認識として、発展途上の「民間金融機関」の重要性が理解されていなかったものと思われるが、その後の展開としては、「1971年のニクソンショック」をきっかけに、「民間金融機関のバランスシートがオンバランスとオフバランスの両建てで大膨張した状況」だったことも理解できるのである。つまり、「1971年から1997年までの26年間」は、「民間金融機関のオンバランスによる残高の増減」が見られたものの、その後の「1998年から現在」までは、「民間金融機関のオフバランスによる残高の増減」が発生した展開だったことも見て取れるのである。

より具体的には、「デリバティブの残高」が膨張している期間が「民間金融機関によるマネーの創造」が実施されていた時期だったものの、その後の「QE(量的緩和)」の期間は、「政府や中央銀行によるマネーの吸い上げ」が実施され、「マネーの実質的な消滅」が発生した展開のことである。そして、この点を、「中央銀行のベースマネー」と「民間金融機関の創出するマネー」との比率を表す「信用乗数」で検討すると、日本では、「1990年前後の約13倍」から「現在の約1.8倍」にまで急減した状況となっており、このことは、「政府によるマネーの吸い上げ」により、「民間金融機関の創出したマネーの縮小」すなわち、実質的な「マネーの消滅」が進展している状況であり、この結果として予想される展開は、やはり、「大量の紙幣増刷によるハイパーインフレの発生」とも言えるようである。