本間宗究(本間裕)のコラム
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2024.6.2
100年前のインフレとデフレ
今から37年前の「1987年」に発生した「ブラックマンデー」に衝撃を受けた私は、その時から、本格的に「過去の金融史」を研究し始めたが、最初に行き着いた難問は、「1929年の米国大恐慌の発生原因」だった。つまり、現在でも、「大恐慌の原因が不明である」と説明されており、また、「デフレという言葉は、この時から経済用語として使われるようになった」とも言われているのである。
別の言葉では、「1923年」に発生し、そのときから「インフレ」が経済用語となった「ドイツのハイパーインフレ」と同様に、現在の「経済学の混乱」、あるいは、「経済学が未熟な段階にとどまっている理由」は、「インフレやデフレが正確に理解されていない点」にあるものと思われるのである。つまり、「実体経済」と「マネー」との関係性が正確に理解されず、また、「商品」や「通貨」そのものが「時代とともに、内容や形態を変化させている事実」が認識されていない状況のことである。
より詳しく申し上げると、「一次産品から二次産品、あるいは、三次産品から金融商品」へと変化した「商品」と同様に、「金貨」から「紙幣」、そして、「預金」や「デジタル通貨」へと変化した「お金(マネーと通貨)」についても、「正確な統計数字が存在しない状況」となっているのである。別の言葉では、「意図的に統計数字が操作されている可能性」も指摘されている状況のために、現在の「デフレ」や「インフレ」については、将来的に、計算し直される可能性も想定されるのである。
このように、「100年前のインフレとデフレ」には、いろいろ悩まされるとともに、数多くのヒントを得た状況でもあったが、「当時の思い出」として鮮明に残っているのが、「約6ヶ月間のハイパーインフレ」であり、実際には、「将来的に、この時期を無事に切り抜けなければいけない」という切実な思いだった。つまり、今までの私にとっては、将来に発生すると思われた「約6ヶ月間のハイパーインフレ」が主な原動力であり、また、現在では、「この時期が世界的に近づいているのではないか?」という緊張感を持ち始めた段階ともいえるのである。
そして、現在では、本当の「インフレやデフレに関する理論的な説明」についても、ほとんど検証済みの段階に差し掛かったものと思われるために、これから必要なことは、「文明法則史学が教える西洋と東洋との文明交代」に関して、「どのような要因により、このような大転換が発生するのか?」の理論的解明のようにも感じている。