本間宗究(本間裕)のコラム

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2024.6.3

1600年前の三蔵法師

「中国の混乱」については、「日に日に、悪化している段階」のようにも感じられるが、同時に気になる点は、やはり、「中国の民衆が、今後、どのような行動を取り始めるのか?」ということである。別の言葉では、「習近平の暴走が、どこまで可能なのか?」ということでもあるが、注目すべき事実としては、「金の切れ目が縁の切れ目」という諺のとおりに、「公務員の給料遅延が、軍人にまで及んだ時に、かれらが、どのような行動を取り始めるのか?」ということのようにも感じている。

つまり、「中国の内部分裂」というような展開も想定されるが、この点については、「1600年前の中国で、五胡十六国から南北朝の時代へ変化した展開」が参考になるものと考えている。そして、この時に、「人々は、どのようなことに興味を抱いたのか?」を研究すると、実際には、「三蔵法師」、すなわち、「仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)」が、数多く存在した状況だったことも見て取れるのである。

より詳しく申し上げると、日本では、中国の伝奇小説「西遊記」に登場する人物「三蔵法師」が特に有名だが、「三蔵法師というのは一般名詞であり、尊称であって、固有名詞ではない」とも説明されているのである。つまり、「西遊記の三蔵法師(玄奘三蔵)」は数ある三蔵法師のうちの一人にすぎず、実際には、「西暦400年頃から、インド仏教の中国伝来に伴い、数多くの人々が三蔵法師となった事実」が存在するのである。

そして、この点については、「西暦400年から1200年の東洋の時代」を象徴する出来事の一つのようにも感じているが、実際には、「精神文明を追い求める時代に、仏教の研究が盛んになった状況」のことである。つまり、「歴史の全体像」とも言える「1600年のサイクル」を考えると、実際には、「西洋的な資本主義の時代は、全体の4分の1程度の期間を占めるだけの状態」に過ぎず、「その他の4分の3は、現代人の常識では理解できない状態だった」ものと想定されるのである。

そのために、「これから、どのような時代が訪れ、どのような社会が形成されるのか?」を考える時には、「物質的な豊かさ」よりも「精神的な豊かさ」が求められる可能性を考慮すべき状況であり、実際には、「本当の幸せ」について、今後、人類が考え始める段階に差し掛かるものと想定されるのである。