本間宗究(本間裕)のコラム
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2024.7.29
雨のオリンピック開会式
7月26日に開催された「パリオリンピックの開会式」は、あいにく、雨中での進行となったが、私自身としては、反対に、いろいろな想いを抱かされるとともに、歴史的な流れを再検証せざるを得ないような状況でもあった。つまり、私自身は、「西暦396年」に開催された「最後の古代オリンピック」から1600年後の「1996年」の前後に、「近代オリンピックも、古代オリンピックと同様に、堕落や腐敗で、その運命を終えるのではないか?」という認識を持っていたからである。
しかし、実際には、「2024年のパリオリンピックも開催された」という状況のために、現在でも、「私の理解や認識に、どのような過ちがあったのか?」を考え続けているが、今回、気付かされたことは、次のようなことだった。具体的には、「第一回のアテネオリンピックが開催された1896年から現在までの128年間」に関して、「前半と後半とで、大きな違いが存在する可能性」であり、しかも、「1984年のロスオリンピックの頃から始まったスポーツの商業化が、今回、終焉の時期を迎えた可能性」などである。
より詳しく申し上げると、「1996年から現在までの28年間」については、以前から申し上げているとおりに、「デリバティブの大膨張が創り出した大量のデジタル通貨の存在」が、「近代オリンピックの運命」を長引かせたものと思われるのである。つまり、「古来のオリンピック」と同様に、「パンとサーカスの生活」を堪能する大衆が存在することにより、「オリンピックの開催」が長引いた可能性である。
別の言葉では、「1980年代初頭から続いたマネーの大膨張や世界的な金利低下」により「スポーツの商業化」が可能になったものの、現在では、反対に、「世界的な金利上昇」により、「人々の意識が変化し始めた状況」のようにも感じられるのである。具体的には、「地球に優しく、環境に配慮するオリンピック」などの標語のとおりに、「会場建設などに使われる資金が急減した状況」のことである。
このように、「近代オリンピックにおける前半と後半の違い」が発生した原因としては、「1971年のニクソンショック」から始まった「マネーの世界的な大膨張」が指摘できるものの、現在では、前述のとおりに、まったく反対の動きが始まったものと思われるのである。別の言葉では、「オリンピックの存在意義」に対する果敢な挑戦が始まった状況とも思われるが、このことは、これから想定される「世界的な金融大混乱」に関しても、「その後に、どのような認識の変化が発生するのか?」という点で参考になるものと感じている。