本間宗究(本間裕)のコラム

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2024.8.19

富の時代と神の時代(2)

30年ほど前から「村山節(みさお)の文明法則史学」、すなわち、「東西の文明は、800年ごとに交代する」という理論を研究してきたが、実際に行ってきたことは、「神様が与えてくれる真実の一コマ」ともいえる「日々の出来事」を見ながら、「歴史の全体像」というジグソーパズルを組み立てる作業である。別の言葉では、「なぜ、このような東西文明の交代が発生するのか?」を考えながら、その主要な原因の一つである「共同体の規模拡大と、それにともなうマネーの大膨張」の理解に努めてきたわけだが、現時点の感想としては、「アダム・スミスの国富論」で述べられていた「神の手」が、依然として働いている可能性が挙げられるものと感じている。

つまり、現在の経済理論では、「人間の欲望を全面的に開放すると、地球環境の悪化だけではなく、核戦争などにより、人類社会そのものの存続が難しくなる可能性」までもが指摘されているのである。別の言葉では、「神の手」は存在せず、また、「これから、どのような社会が訪れのるか?」に対して、ほとんどの人が絶望的な想いを抱いている状況のようにも思われるのである。

より詳しく申し上げると、「パンとサーカスの生活」や「財政赤字とインフレ」、あるいは、「大都市の知恵と貨幣」などからも明らかなように、現在が、「1600年前の西ローマ帝国の崩壊時」と似たような状況のために、「西洋の暗黒時代が、再び、繰り返される可能性」までもが危惧される状況ともいえるようだが、この点に関しては、「より高次元の神の手が働いている可能性」が想定されるものと感じている。

つまり、「自然科学と社会科学が、現在、どの次元に位置するのか?」を考えると、実際には、「1600年前の三次元の状態」から「現在の11次元の自然科学と三次元の社会科学」に変化したことも見て取れるのである。別の言葉では、「ケプラーからニュートンへ」という言葉のとおりに、「約300年前に、自然科学が3次元から4次元に上昇し、また、20世紀においては、11次元にまで上昇した状況」であることも理解できるのである。

このように、現在は、「神が創った世界」を研究する「自然科学」と「人が造った社会」を研究する「社会科学」とに「次元の格差」が存在するために、「軍隊や兵器が存在し、核戦争までもが危惧される状況」となっているものの、今後の展開としては、「社会科学の次元上昇」により、「何が必要で、何が不必要なのか?」が、世界的に認識される時代が到来する可能性を想定している次第である。