本間宗究(本間裕)のコラム
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2015.6.5
FIFAの汚職事件
今回の「FIFAの汚職事件」については、世界中の人々が、驚かされたようだが、その理由としては、「世界的な広がり」であり、また、「金額の巨大さ」が挙げられるようだ。そして、同時に、この事件は、いろいろな疑問点を、我々に投げかけているようだが、具体的には、「なぜ、現代において、スポーツが人気化するのか?」、あるいは、「なぜ、巨額な資金が集まるのか?」ということなどである。
そして、この点を理解するためには、「古代オリンピック」にまで遡って、人類の歴史を研究する必要性があるようだが、現代人にとっては、「お金の謎」と同様に、誰も考えようともしない問題点でもあるようだ。つまり、「パンとサーカス」という言葉のとおりに、現代人は、「スポーツ」に熱狂し、実際に、「時間」と「お金」を使っているが、このことは、基本的に、「巨大な組織」の中で、「歯車」や「部品」のような存在となった個人が、「社会との疎外感」を埋めるための行為とも考えられるようである。
そして、いつものとおりに、「バブルの崩壊後に、大騒ぎをする人が続出する状況」が発生するものと思われるが、現時点で、最も重要なことは、「過去100年間に、どれほどの変化が、世界の金融界に起きたのか?」を考えることでもあるようだ。別の言葉では、「なぜ、現在の日本で、ゼロ金利状態が可能なのか?」、あるいは、「なぜ、日本の国家債務問題が、依然として、収まっているのか?」を考えることだが、今後は、この点が、日本人の最も大きな関心事になるものと考えている。
換言すると、自分の力で活躍する「スター選手」に憧れ、また、応援することにより、自分自身の「虚無感」を払おうとしているようにも思われるのである。しかも、この時、多くの人が、スポーツに熱中すればするほど、より多くの「資金」が集まり、また、強大な「利権」が発生するが、今回の「FIFA」については、この典型例だったようである。つまり、「組織化」が進行すればするほど、「隷従者」の数が多くなり、結果として、「腐敗」や「堕落」が進行するのだが、この点については、「古代オリンピック」でも、同様の状況だったようである。
具体的には、西暦4世紀ごろの「末期の古代オリンピック」では、「優勝者への過剰な褒章が、逆に大祭の腐敗を生んだ」とも伝えられているのである。そして、「祖国が優勝者に支払う報奨金は跳ね上がり、褒章欲しさに、不正を働くもの、審判を買収するものが出て、オリュンピア大祭は腐敗した」とも言われているが、このことは、現在の「スポーツ界」と似たような状況とも言えるようである。