本間宗究(本間裕)のコラム

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2015.8.6

宿業と原罪

「5次元の経済学」を考える上で、どうしても避けて通れないのが、東洋の「宿業」であり、また、西洋の「原罪」という考え方だった。具体的には、「前世での行為が、現世に引き継がれたもの」が「宿業」であり、そして、「アダムとイブが犯した罪」が「原罪」とのことだが、これだけでは、全く理解不能な状況とも言えるようである。そのために、この問題を、長年、考え続けてきたのだが、現在では、ぼんやりとした「解答」が見つかり始めたようにも感じている。

つまり、「人間」というのは、「肉体」と「魂」との融合体であり、このことは、「動物的な欲望」と「天や神の意志」という、二つの「矛盾したもの」が結び合っていることを意味しているようである。具体的には、「人間は動物であり、生きるためには、他の植物や動物を犠牲にしなければならない」という「当たり前の事実」が存在するのだが、この時に、「天や神の意志」としては、「全ての生き物は大切な存在である」と判断しているようにも感じられるのである。

そして、この矛盾を解決するのが、「調和」と呼ばれるものだと考えているが、実際には、「地球全体のバランス」が崩れないように、「種の保存のために必要な分だけ、他の生命を犠牲にする」という考え方のことである。また、「なぜ、このような矛盾が、根本的に存在するのか?」を考えると、結局のところは、「人生の目的」が、「魂の成長」にあるようにも思われるのである。

具体的には、「仏教」が教えているように、「成仏」という、「全ての人が、努力により、仏陀のような存在になれる」という考え方のことである。そして、このような水準に達するまでには、何度も生まれ変わりながら、さまざまな経験をすることが必要だと考えられているようだが、この時に理解できることは、「人生で、最も大切なものは、実際の体験である」ということでもあるようだ。

つまり、古来、人々が考えたことは、「お金は、あの世に持っていけない」ということであり、また、「現世で、どれだけ、多くの人に尽くしたのか?」、あるいは、「人生で、どれだけ、本来の使命を果たすことができたのか?」ということである。別の言葉では、「自分の人生は、生まれる前に、9割程度、設計されている」という考え方であり、実際には、「宿命」と呼ばれるものだが、現代人は、これらのことを考えず、単に、「お金儲け」だけを考えているようである。