本間宗究(本間裕)のコラム

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2015.11.17

ロンドン・ゴールドプール

現在の「貴金属価格」については、依然として、「フィジカル・ゴールド(現物の金)」対「ペーパー・ゴールド(数字上の金)」との「せめぎ合い」が起きているようだ。そして、このことは、「国債を守る陣営」である「日米欧の国々」が、「ペーパー・ゴールド」により、「貴金属の売り叩き」を行い、一方で、「金を信用する陣営」に属する「中国」や「ロシア」、そして、「インド」などが、大量に、「フィジカル・ゴールド」を購入している状況のことである。

つまり、「国債を守る陣営」にとっては、「貴金属価格の上昇」は、世界中の人々に、インフレ懸念を想起させるために、「何としても、貴金属の価格を抑えたい」という思惑が存在するとも考えられているのである。別の言葉では、「国債価格の暴落」が、「金利の上昇」を引き起こし、結果として、「金融システム」や「通貨制度」の崩壊に繋がる恐れが存在するために、「貴金属の売り叩き」と「国債の買い」という「プログラム売買」が、いまだに実施されているとも言われているのである。

そして、このような「貴金属の価格統制」については、「1960年代」にも実施されたが、実際には、「1961年から1968年」にかけての、いわゆる「ロンドン・ゴールドプール」と呼ばれるものだった。具体的には、「アメリカ」を始めとした「7か国」が、「約250トンの金(ゴールド)」を拠出して、「35ドルの金価格」を維持しようとしたのだが、この理由としては、当時の「ブレトンウッズ体制」の下で、「金為替本位制」が実施されていたために、「金価格の上昇」が、「通貨制度の崩壊」に繋がる可能性が存在したのである。

そのために、「約7年間」にわたり、「金の価格統制」が継続されたのだが、結局は、「限界点」に達し、最後には、「ロンドン・ゴールドプール」の崩壊に繋がったのである。つまり、最後の段階では、「内部分裂」が起き、結果として、この制度が維持できなくなったようだが、この点については、「1990年代」に実施された「日本株のPKO(価格維持政策)」と同様に、「天地自然の理に反した政府の行為は、必ず、崩壊の運命に見舞われる」という結論を、我々に教えてくれているようである。

そして、その後は、より「大きな反動」に見舞われたということが、「歴史の教訓」でもあるが、今回の「貴金属」に関しては、誰もが信じられないほどの「反動」と「暴騰局面」が訪れるものと考えている。