本間宗究(本間裕)のコラム
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2015.11.28
障害児の出産
最近、茨城県の教育委員会で、「障害児の出産」について、いろいろな議論が噴出したが、このテーマについては、私自身も、長く考え続けてきた。そのために、今回は、この論点を整理したいと思うが、問題は、最初に、「障害」と「個性」との「違い」であり、また、「障害」にも、「先天性」と「後天性」の区別が存在するものと考えている。つまり、「障害」にも、いろいろな程度の区別があるように、どのような人にも、それぞれの「個性」や「能力」の違いがあるために、「障害者」と「健常者」の間で、実際に、どのような線引きがなされるのかが気に掛かるのである。
また、「健常者」と考えられていた人が、突如として、「肉体的、あるいは、精神的な障害者」となるケースも存在するために、一概に、「障害者」と「健常者」を区別することには、大きな抵抗感を感じざるを得ないが、確かに、「先天性の障害児」を持った親は、ほとんどの場合に、「この子と一緒に死のう」という考えを、最初に持つそうである。しかし、時間の経過とともに、考えが変わり、実際には、「この子が生まれて良かった」と考え直す場合も多いようであり、また、「障害児」として生まれてきた子供も、「生んでくれてありがとう」と感じるケースも、数多く存在するようである。
そして、より重要なテーマとしては、「人生の意味」でもあるが、私自身も、当初は、「なぜ、障害児が生まれるのか?」を考えた時に、「前世の因縁」とか「宿業」というような「誤った考え」を持っていたようだ。つまり、「親の因果が、子に報われる」というような「時代錯誤の考え方」に染まっていたようだが、現在では、「健常者と障害者のどちらが、それぞれの人生で、より大きな学びを得られるのか?」が気に掛かるのである。
別の言葉では、「精神のレベル」というものが存在し、実際には、「精神レベルの高い人ほど、人生で、より大きな悩みを抱えるのではないか?」とも想定されるのである。具体的には、「人類の罪を、すべて背負って亡くなった」と言われる「キリスト」や、あるいは、「誰でも、仏になれる」と説いた「仏陀」などを筆頭にして、「科学技術」や「宗教」などの面で、「人類の発展」に貢献した人ほど、実は、大きな「悩み」や「苦しみ」を抱えていたようにも思われるのである。
つまり、「人生の目的」が「精神的な成長」にあり、「あの世」に帰った時に、どれほどの「宝物」を持ち帰ることができるのかということだが、実際には、「障害者」と言われる人々の方が、「健常者」よりも、より大きな「財産」を得られるようにも感じている。