本間宗究(本間裕)のコラム
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2016.5.12
天に委ね、神に凭れる
何十年もの間、「天に委(ゆだ)ね、神に凭(もた)れる」という言葉の意味を考え続けてきたが、還暦を過ぎた現在では、ようやく、ある程度の理解ができたようにも感じている。つまり、東洋学では、「天に委ねる」、そして、西洋学では「神に凭れる」ということが、「人生において、最も重要な態度の一つである」と言われているのだが、今までは、どうしても、この点が理解できなかったのである。
そのために、いろいろな試行錯誤を繰り返してきたが、現在では、「天や神は、人間の親のような存在である」と考えることにより、ある程度、理解が進んだようにも感じている。つまり、「母親が、子供のことを心配するように、天や神は、全ての人を案じている」ということであり、また、「全ての人が精神的な成長をするように、いろいろな環境を与えてくれている」という解釈のことである。
別の言葉では、今までの人生を振り返ると、実に多くの「天や神の助け」が存在したようにも感じているが、今までは、この点を誤解していたようにも思われるのである。つまり、「人智」という「自分の都合」だけを考え、「なぜ、このような理不尽なことが起こるのか?」というような考えを持っていたが、現在では、「全てが、現在の自分を造るために、天や神が与えてくれた環境だった」とも感じているのである。
そして、「日々の出来事」についても、「目先」では「理不尽」なように見えながら、「長い目」では、「自分が成長する糧(かて)だった」とも感じているが、結局は、「厳しい環境」や「いろいろな事件」に遭遇し、「悩み、苦しんだ時」が、実は、「人間的に成長した時だった」という理解のことである。また、この点を、人類の歴史に当てはめると、違った歴史観が見えてくるようだが、実際には、「世の中は、絶えず進化し、発展している」という考え方のことである。
つまり、今までは、あまりにも異常な「マネーの大膨張」に対して、「なぜ、このような理不尽な事態が発生するのか?」と悩み続けてきたのだが、実際には、実に深い「天や神の計らい」が存在するようにも思われるのである。つまり、「人類の進化や創造のために、与えられた条件の一つだった可能性」のことだが、実際に、過去数十年間、技術的な進歩や発展が起きたことも理解できるのである。別の言葉では、世界中の人々の才能を開花させるために、マネーの大膨張が発生した可能性のことだが、この点については、今後、「国債価格の暴落」が起きた時に、結論が出るものと考えている。