本間宗究(本間裕)のコラム

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2016.6.4

恐怖心の消滅

数年前に、「一寸先は光である」という話を伺ったが、当時は、「そんな馬鹿なことはあるか?」というのが、偽らざる感想であり、また、「無理やりにでも、そう考えなければいけないのではないか?」とも感じた次第である。しかし、現在では、「まさに、この通りではないか?」と考え直し始めたのだが、「なぜ、このような変化が起きたのか?」については、実際のところ、「恐怖心の消滅」が指摘できるようである。

具体的には、誰もが最も恐れる事態が、「死」であり、この事実については、誰も避けることができない運命にあるが、私自身の「意識や認識の変化」としては、「肉体と精神とを分けて考えること」でもあった。つまり、「肉体は必ず滅びるが、精神は永遠に生き続ける」という理解により、「死は、決して、恐れることではなく、反対に、来世に期待できるのではないか?」と考え直したのである。

また、次に恐れることは、「病気」などの「不幸な目に遭うこと」だったが、この点についても、「人生の宝物は経験であり、現在の痛みや辛さ、あるいは、悩みや苦しみは、将来、または、来世の財産になる」と理解できるようになったのである。つまり、「見方」や「考え方」が変わると、「人生観」や「行動」が変化するようにも感じたが、この点を、「人類の歴史」に当てはめると、実に、興味深い事実が浮かび上がってくるようである。

つまり、「世の中には、市場経済と共同体の二つしか存在しない」という考え方のことだが、このことは、「お金が全てである」と考える人と、「無償の愛が、人生で最も大切である」と理解する人の違いである。別の言葉では、「西暦1200年から西暦2000年」までが、徐々に、「お金を大切にする人」が増えていった時代だと考えているが、その結果として起きたことが、「実体経済の成長」と「マネーの大膨張」だったのである。

別の言葉では、「社会の分断化」や「人間関係の希薄化」などにより、「心の闇」が深くなっていった時期だったようだが、これから想定される社会は、「共同体の復活」であり、実際には、「時は命である」と考える人が増える時代でもあるようだ。つまり、「貧乏」や「死」に対する恐怖心が無くなり、反対に、「喜び」や「楽しみ」が増える時代を想定しているが、現在のような「時は金なり」、そして、「お金がなければ生きていけない」と考える人が主流の時代では、全くの「絵空事」とも理解されるようである。ただし、これから想定される「お金が、神から紙になる時代」においては、この点に対する理解を持った人々が、世の中を主導するようにも思われるのである。