本間宗究(本間裕)のコラム
* 直近のコラムは、こちら。
2016.11.25
煩悩即菩提
仏教には、「煩悩即菩提」という言葉があるが、このことは、「悩みや苦しみを経験すると、完全な英知を持った悟りのレベルにまで達成可能である」ということを意味している。別の言葉では、「大乗仏教」が教えるとおりに、「どのような人でも、修行次第で、仏陀のような人間になれる」という意味でもあるようだが、実際には、「何度も生まれ変わり、さまざまな経験をする」ことが求められているようだ。
また、「即」という言葉は、「即座」や「瞬間的」という意味ではなく、「いろいろな経験をした後に、気付きが起こる状況」を表しているようにも感じられるのである。そして、この点を、「色即是空」や「空即是色」に当てはめると、現代社会が、はっきりと説明できるものと思われるが、実際には、「空」が「何も無い状態」であり、一方で、「色」は「大自然や人々の意識によって生み出された現実社会」とも考えられるからである。
つまり、「お金」というのは、「信用」という「目に見えない、人々の意識」を形にしたものにすぎないのだが、この点について、海外では、盛んに、「現代の通貨は、何もない空中から生み出された」というような表現が多用されているのである。また、この時の注目点は、「色」という「お金の残高」が増えるほど、「人々の意識」において「信用」が減少する状況でもあるようだが、実際に、「マネーの大膨張」がもたらしたものは、「煩悩だらけの社会」だったようにも感じられるのである。
このように、「西暦1200年から2000年」の「西洋の時代」においては、「約800年」という長期間に亘り、「お金に価値を見出す人が増えた時代」であり、しかも、最後の段階で発生した現象が、「マイナス金利」という「お金を貸した人が金利を払う状況」だったのである。つまり、「本末転倒の極み」とでも呼ぶべき状況だったが、このことは、「終わりは始まりである」という言葉のとおりに、「新たな時代」の始まりを意味しており、今後は、「約800年間」の「東洋の時代」が予想されるのだが、この時に、人々が求めるものは、「菩提」という「完全なる叡智」や「悟り」とも想定されるのである。
別の言葉では、今後、「経済学」や「道徳」などの「社会科学」が発展し、また、すでに進化を遂げた「自然科学」との融合により、「新たな時代」が形成されるものと想定されるのである。そして、このことが、「世界は、絶えざる進化と創造の過程にある」ということを意味しているようだが、問題は、やはり、「生みの苦しみ」であり、現在では、「膿み出し」の最終段階とも考えられるのである。