本間宗究(本間裕)のコラム

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2017.4.4

働き方改革の実現性

現在の国会で「働き方改革」が審議されたが、このことは、きわめて複雑な問題であり、私自身としては、「失敗に終わる可能性」を憂慮している。つまり、今回の審議で感じたことは、「国家主導による、計画経済とも言える雰囲気」であり、この時に思い出されたのが、「1991年のソ連」だったからである。具体的には、「社会主義」や「共産主義」と呼ばれた社会体制そのものが、「低い生産性」や「労働者の働く意欲の喪失」などにより、完全崩壊した状況のことだが、ご存知のとおりに、その後は、「世界全体が、実質的に、資本主義体制へと変化した」という状況だったのである。

つまり、「第二次世界大戦後」に、世界全体が「高度経済成長期」に入り、この時には、「化学産業」や「自動車産業」などの「実体経済」が急速に発展したのだが、問題は、「1980年代」から進展した「経済の金融化」でもあった。具体的には、「実体経済」だけに特化した「社会主義国」、あるいは、「共産主義国」が、生産性の低下に悩まされ、実質上、行き詰まりの状態に陥ったのである。

その結果として、「世界全体が金融資本主義を尊重する時代」へと変化し、結果として、未曽有の規模で「マネーの大膨張」が発生したのだが、現時点でも、この点が考慮されず、単に、「実体経済の生産性」などが、議論されているにすぎない状況とも想定されるのである。つまり、本当の意味での「働き方改革」を実現するためには、「数千年間の人類史」を徹底的に検証し、「この間に、どのような変化が起き、また、どのような発展をしたのか?」を理解する必要性があるようにも感じられるのである。

別の言葉では、「現在、世界全体が、1991年のソ連と似たような状態」になっているようにも思われるが、この理由としては、世界中の人々が、「何のために、働くのか?」に関して、大きな疑問を抱き始めた点が指摘できるようである。具体的には、本当の意味での「働き甲斐」を求め始めた可能性のことだが、このことも、結局は、「人類の絶えざる進化と創造」における「過程的な段階」とも考えられるようである。

このように、これから想定される事態は、「日米欧の国々」が、かつての「ソ連」のような状態になることでもあるようだが、実際には、「終わりは始まりである」という言葉のとおりに、「大混乱期を経て、人類が、一段と発展する段階」に差し掛かっているようである。つまり、「自然科学」と「社会科学」の更なる発展により、「過去に存在しなかった、効率的で、かつ、平和な社会」が実現される可能性のことである。