本間宗究(本間裕)のコラム

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2017.7.24

ニュートンの閃き

「万有引力の法則」を発見した「アイザック・ニュートン」は、「リンゴが木から落ちる様子を見たことが、発見のきっかけだった」と伝えられているが、この点については、より詳しい解説が必要なようである。具体的には、「時代的な背景」と「ニュートンの思考方法」のことだが、実際には、「熟慮にふけっていたニュートンが、ある日、リンゴが木から落ちるのを見た時に、重力の概念に気が付いた」という点に、より詳しい解説が付け加えられているのである。

具体的には、「なぜ、リンゴは、垂直に地面に落ちるのだろうか?」、あるいは、「なぜ、上や横に落ちずに、常に、地球の中心に向かって落ちるのだろうか?」という「率直な疑問」を持ち続けていた時に、「瞬間的な閃き」が訪れ、結果として、「万有引力の法則」を発見した可能性のことである。また、「時代的な背景」としては、当時が、「自然科学の黎明期」であり、実際には、それまでに、「コペルニクスの地動説」や「ケプラーの法則」などが発見されていた状況だったのである。

つまり、「宇宙のメカニズム」や「天体の軌道サイクル」などが、徐々に、理解され始めた段階において、「偉大な発見」がなされ、その後の世界的な「技術発展の基礎」を築いたとも言われている。このように、「大自然の仕組み」を解明する学問である「自然科学」においては、すでに、「純粋な疑問」を持ち、「素直な目」で大自然の姿を観察することが、「学問」に向かう「当然の態度」に変化したようだが、問題は、「人間の行動」を解明する「社会科学」において、いまだに、かつての「天動説」や「地球平面説」のような「古典的理論」、あるいは、「誤った理論」を信奉する人が、数多く存在することだと考えている。

具体的には、「お金の謎」がいまだに解明されず、また、「時間のサイクル」が無視されるとともに、「心の謎」については、全く考えようともしない態度のことだが、興味深い点は、やはり、「時代的な背景」であり、実際には、「マルクスの資本論」や「ケインズの貨幣論」、あるいは、「村山節氏の文明法則史学」などのように、「新たな理論」が産み出される準備が整った段階のようにも感じられるのである。

つまり、現在が、「社会科学の黎明期」であり、今後は、「飛躍的な発展期」が訪れる可能性のことだが、この時に重要な態度は、「ニュートン」と同様に、「日常におきることを観察し、そこから理論の着想を得ること」でもあるようだ。別の言葉では、既存の「誤った理論」に固執せず、純粋に、「天地自然の理」を考えることである。