本間宗究(本間裕)のコラム

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2017.10.24

底なし釣瓶で水を汲む

出典不明の「中国の諺」に「底なし釣瓶で水を汲む話」があり、次のような内容だそうだが、この点については、現代人が忘れ去った「魂」が存在するとともに、「人生の極意」ではないかとも感じさせられた次第である。

昔、ある所で、息子がいない長者が、親孝行したいという息子を募集した。長者は、集まった多くの若者に、「息子になるためには、夕暮れから朝の一番鳥が鳴くまでの間に、底のない釣瓶を井戸に垂らして水を汲み、樽一杯にする」という難題を与えた。多くの若者は「馬鹿馬鹿しい」と、その場を去ってしまった。ところが一人の若者だけは、夜を徹して底なしの桶で水を汲み続けた。底なし桶でもしずくが付く。くみ上げる度に桶についた雫が積もり積もって、一晩のうちに樽に水がいっぱいたまっていた。

つまり、現代的な常識では、「効率性」や「生産性」などが重視され、「無駄な努力」を嫌う傾向があるものと思われるが、「投資」や「ビジネス」の実践においては、「何が無駄で、何が効率的なのか?」がはっきりしないケースが、数多く存在するものと思われるからである。別の言葉では、「答えのある問題を、他人よりも早く解くこと」が、いわゆる「優秀な人材」と考えられているようだが、実業の世界においては、往々にして、「答えのない問題」を考え続ける態度が求められているようにも思われるのである。

具体的には、「トヨタの改善(カイゼン)」のように、「現場の作業者が中心となって知恵を出し合い、ボトムアップで問題解決をはかっていく態度」を継続した結果として、「トヨタ」は「世界一の自動車メーカー」となることができたのである。つまり、「答えのない問題」に対して、「三人寄れば文殊の智慧」というような態度で臨んだ結果として、これほどまでの成果を上げることができたようにも感じられるのである。

そして、この点については、「自然科学におけるノーベル賞受賞者」も、ほとんど同じような態度を貫いたものと思われるが、実際には、「真理への純粋な追求心」が、根本的な原動力だったものと思われるのである。つまり、「目の前に存在する課題に対して、愚直に対応する態度」のことだが、現在では、多くの人々が嫌う行動とも言えるようである。その結果として、「日本の失われた20年」が発生し、「日本の生産性や国際競争力」などが、いつの間にか、地盤沈下していたものと想定されるが、歴史を見ると、このような状況下で発生する事態は、「人々の意識を大転換させる事件」とも言えるようだが、現在では、徐々に、このような展開となる下地が整ってきたようにも感じている。