本間宗究(本間裕)のコラム

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2018.6.3

堕落の極み

現在の「加計学園問題」などに対する「政府や官僚の対応」を見ていると、「日本人の堕落は、ここまで窮まったのか?」と憂えざるを得ないようだ。具体的には、マスコミの報道のとおりに、「国会議員や官僚の、貴重な時間とお金」を使いながらも、「事実の解明」が、ほとんどなされていない状況のことである。そして、「国民の不信感」が高まりながらも、一方では、「景気や外交など、より重要な問題に、国会での時間を使うべきではないか?」というような意見も出始めているが、この時に考えなければいけない点は、「信用の本質」でもあるようだ。

つまり、今までに発生した「世界的なマネーの大膨張」については、基本的に、「国民の信用」が根底に存在していたことが、根本の要因でもあったが、現在では、すでに、「全ての信用が、国債の大量発行により食い潰された状況」とも考えられるのである。そのために、今後は、「国民の覚醒」とともに、本格的な「金融大混乱」が発生するものと想定しているが、私自身としては、「なぜ、同じような歴史が繰り返されるのか?」と考えざるを得ない状況でもある。

別の言葉では、今までの「さまざまな事件」を見た時に、「神も仏も存在しないのではないか?」と真剣に悩まされたことが思い出されるのである。しかし、現在では、「悲母観音」や「慈悲」などのように、「悲」という言葉が使われている理由が、ある程度、理解できたようにも感じている。つまり、人類は絶えざる進化と創造を継続しているが、時代の大転換期において、人類の覚醒のために、あえて、厳しい状況が与えられる可能性である。

具体的には、「可愛い子には旅をさせよ」という言葉のとおりに、「人類全体も、辛く厳しい経験をしなければ、精神的な成長が達成できない可能性」であり、この時に、「天や神は悲しみながらも、慈しみながら見守っている状況」のことである。別の言葉では、「人知」では理解できない「深い思惑」が存在する可能性でもあるが、過去の歴史を見ると、世界全体に、大きな歪みや矛盾が発生した時に、人類全体が悩み苦しむ状況が発生しているようにも感じている。

具体的には、かつての「第二次世界大戦」や、今回の「世界的なマネー大膨張」のことだが、基本的に、「大混乱」は短期間で終了し、その後は、まったく違った時代が到来するということが、過去の歴史から読み取れることでもある。そのために、決して、一時的な闇の状態に惑わされず、希望の光を見失わないことが重要だと感じている。