本間宗究(本間裕)のコラム

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2018.9.3

パウエル議長の講演

8月24日、米国のジャクソンホールで、「パウエルFRB議長」の演説が行われたが、内容的には、「竜頭蛇尾」の状況だったものと感じている。つまり、弁護士出身のためか、文章構成には驚かされたものの、内容的には、ほとんど見るものがなかったようにも思われるのである。別の言葉では、「金融政策の行き詰まり状態」を隠すために、あえて、「自然利子率」などの「古典的な経済用語」を多用したようにも感じられたが、「物言えば唇寒し秋の風」という言葉のとおりに、「厳しく辛い状況を、言葉で隠すことは難しかったのではないか?」とも思われた次第である。

また、今回、気付かされたことは「過去30年間の変化」だったが、実際には、私自身が、「1987年のブラックマンデー以降、真剣に、FRB議長のコメントを読み続けてきた」という状況でありながら、「今まで、重大な事実を見逃してきた可能性」である。具体的には、「10年毎に発生してきたバブル」に関する「規模と内容の違い」のことだが、実際には、「1999年」の「ITバブル」、そして、その後も大膨張した「デリバティブのバブル」が「それまでのバブルとは、大きな違いが存在した可能性」である。

具体的には、「1979年の金バブル」、そして、「1989年の株式と土地のバブル」については、基本的に、「実体経済」に関する商品のバブルであり、また、「ピーク時の時価総額」が、数百兆円、あるいは、数千兆円という金額でもあった。しかし、一方で、「1999年のバブル」については、「マネー経済」に関するバブルであり、実際には、「デリバティブ」を中心にした金融商品が、「IT技術の恩恵」を受けて、「数京円」という規模にまで大膨張したのである。

しかも、それまでのバブルとは違い、「2008年前後まで、デリバティブが大膨張を続けた」という状況であり、結局は、このことが、さまざまな「時間的、かつ、価格的な歪み」を引き起こしたようにも感じられるのである。具体的には、「2009年に、なぜ、金のバブルが発生しなかったのか?」、また、「なぜ、史上初めて、2016年前後にマイナス金利が実現したのか?」ということも説明可能な状況とも思われるのである。

具体的には、「政府や中央銀行による価格統制」であり、この点については、「第二次世界大戦」の末期に実施された「価格統制」と似たような状況でもあったようだ。しかし、今回は、「規模が大きかった分だけ、問題の発覚が遅れ、その結果として、その後の反動が、同様に大きくなる状況」も想定されるのである。