本間宗究(本間裕)のコラム

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2018.10.22

承久の乱から800年

以前から気になっていたこととして、「なぜ、承久の乱が1221年に起こったのか?」という点がある。そして、この理由としては、「800年に一度」といわれる「東西文明の交代」を調べていた時に、「私の生まれ故郷」と深く関係する「承久の乱」について、「本来、もっと早い時期に発生すべきだったのではないか?」と感じたからである。つまり、「文明の交代期には、約100年間の混乱期が存在する」といわれているが、私自身の研究では、「そのうちの10年間が激変期ではないか?」、しかも、「今回は、2010年から2020年ではないか?」と考えていたのである。

そのために、今回の大転換についても、「1221年から800年後の2021年では、時期的に遅すぎる」と考えていたが、現在では、反対に、「この時期に、何らかの意味が含まれているのではないか?」と考え直し始めている。つまり、「承久の乱」については、「日本史上初めて、朝廷と武家政権との間で起きた武力による争い」でもあったが、戦に敗れた朝廷は、「後鳥羽上皇」が「隠岐の島」、そして、「順徳上皇」が「私の生まれた町である佐渡の真野町に流された」という状況だったのである。

しかも、この時に、「北条家の家来」だった「本間一族」が「佐渡の守護職」となり、その後、「上杉家」に敗れるまで、「約400年間、佐渡を支配した」という状況であり、また、「相場の神様」といわれる「本間宗久」を輩出した「酒田の本間家」は、「佐渡の本間家からの分家」とも解説されているのである。つまり、「私自身の生い立ち」と、深く関わった出来事であるために、たいへん気になっていたが、前述のとおりに、今までは、「2021年」という時期が、あまりにも「当て外れ」のようにも思われたのだった。

しかし、現在では、「1219年」から「不穏な動き」が始まり、その後、「1221年6月」に終焉した「承久の乱」が、「今後の展開」について、たいへん参考になる可能性が出てきたようにも感じている。具体的には、間もなく、始まるものと思われる「本格的なインフレ相場」に関して、「承久の乱」が参考になるとともに、「2021年」に、世の中の大転換が終了している可能性のことである。

そのために、この点にも注意しながら、今後の展開を見守っていきたいと考えているが、現時点で、最も注目すべき点は、やはり、現在の混乱が、「800年、あるは、1600年に一度の重大な出来事」とも言える「西洋から東洋への文明転換」に起因している可能性とも言えるようである。