本間宗究(本間裕)のコラム

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2019.2.16

一切皆空

「般若心経」などの「仏教の経典」については、「預言者が語った真理」、あるいは、「天や神から人間に与えられたメッセージ」だと考えているが、この時の問題点は、「受け取った人々が、どこまで真理を理解できたのか?」ということでもあるようだ。具体的には、「一切皆空」という言葉についても、「人間は、天や神の意志を、正確に理解できていないのではないか?」とも思われるが、実際のところ、「誰が天地を創造したのか?」、そして、「人間は、この世で、どのような役割を果たすべきなのか?」という点などに関して、現代人は、大きな誤解をしているようにも感じられるのである。

より具体的に申し上げると、人間は、「キリスト教」が教える「神が創造した天地」において、「仏教」が教える「成仏」、すなわち、「精神的なレベルを向上させる役割」を背負っているようにも思われるのである。そして、この時に、「心が、どのような役割を果たしているのか?」という点が、最も重要だと思われるが、「物質の誕生」については、「物理学」が、すでに解明したとおりに、「見える粒子」と「見えない粒子」がぶつかり合った結果の産物とも言われているのである。

つまり、このことから理解できることは、「物理学の初心者」である「私自身」においても、「現実世界は、神の産物ではないか?」ということである。また、「人間が所有する物は心だけである」、すなわち、「神が創造した社会において、人間が保有するものは、実質的にゼロである」ということが、実は、「一切皆空」が意味することのようにも思われるのである。より具体的には、「この世で、どのように考え、どのような行動を取ったのか?」という「体験」だけが、「人間の所有する財産」であり、実際には、「目に見えないもの」とも理解できるのである。

換言すると、「自分の身体」も「神様からの借り物」でありながら、「借りたことを忘れている状況」となっているために、さまざまな「欲望」、あるいは、「悩み」や「苦しみ」が発生するようにも思われるのである。つまり、「人生の目的」は、前述のとおりに、「成仏」という「天や神に近付くこと」であり、この時の方法論が、「あらゆる経験をしながら、天や神の智慧に到達すること」でありながら、現在では、この点が理解されていない状況のようにも思われるのである。より具体的には、「99%の努力と1%のインスピレーション」という「エジソンの言葉」のとおりに、「目の前に存在する問題」に対して真剣に考え、その結果として、「無尽蔵に存在する神の智慧」に到達することが、「人生において、最も重要なことではないか?」とも思われるのである。